2004

化学治療日記\"(0 3月27日〜04月03日)10

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3月21(日)晴れ

朝、9時30分に息子と1緒に家を出て、岡崎のPCショップへ行き、PCの不具合を見てもらったら、原因はインターネットをAirHで繋いだ場合に、電波の不具合でPCが認識してしまい、画像が荒くなりモザイクが掛かって様な状態になり、次に繋いだときに前の認識でPCにある画面を出してしまうらしい。この場合、インタネットオプションの一時ファイルを削除すれば直るそうです。昨日、同じ系列の蒲郡店で聞いたときには、メモリー不足だといったが、それは違っていたらしい、専門家が間違いを教えたら駄目でしょう。昼御飯は、息子達夫婦とうどん屋へ行く久しぶりで釜揚げうどんを食べた。旨かった。夕食は、お母さんと4人で手巻き寿司をしてワイワイ言いながら楽しく頂いく、大勢だと美味しくついつい食べ過ぎてしまいお腹が苦しい。19時ごろ、おかあさんに送ってもらい病院へ。

3月22日(月)雨

昨晩、眠れないのでハルシオン2錠飲んだら、前と同じ状態を起こし朝の記憶が飛んでしまっている。早く検査のための採血があり、その結果白血球は(3,600)に減って赤血球は(217万)ヘモグロビンが(7,1)血小板が(14,6)CRPが(データ無し)CEA(24,8)だった。CEAの24,8は、ショックだが冷静になればそんなに大した数値ではない。12時過ぎに今日から点滴が始まるのでシャワーを使わせてもらう。13時過ぎに、1F画像診断室へ行き、レントゲン撮影をしてくる。16時より、明日の抗がん剤の下準備のために、ソリター3の点滴が始まる。18時ころに主治医の回診があり、明日の化学治療に使う薬の説明があった。以前使った事の有る、ナベルミンとシスプラチンと決まった。以前のように強くせずにやさしく点滴してもらうように話をする。

3月23日(火)晴れ

9時30分より、抗がん剤の点滴がはじまる。いつものように、カイトリル30分其の後、シスプラチン50mm(2時間)12時よりナベルミン3,8ビン(2時間)、14時05分に、抗がん剤は終了したが生理食塩水はまだ続く、14時30分過ぎに、副作用の激しい吐き気に襲われダウン。左の上腕部が、だるいので看護婦さんとの話の中で、其の話をしたら脇の下を触っていて、リンパ節の小さな腫れ見つけてくれた。19時過ぎの、主治医の回診の時に言ったら今早急には問題ないから、今度のクスリの結果で考えてくれるそうです。昨日のCEA検査結果が上がっていたのはリンパ節の関係かな?19時過ぎにお母さんが洗濯物を取りに来る。

3月24日(水)曇り

今朝から咳をするたびに血痰出てくる。熱も37,5度あり気分が優れないでも嬉しいニュースがある孫のまめ子が昨晩からハイハイが上手になり自分の思う所へ行くようになったらしい。これから危険な事が待っているので充分気を付けて欲しい。今この日記を書いているに寒気がして来たので熱を測ってみたら38,5℃まできている調度いたのみのボルタレンをももらって挿入して様子を見る熱は、抑えたが今度は血痰が凄く出はじめ午前中だけでも30回以上血痰を数える・直止血剤(アドナ錠30mg(トラノサモノカプセル250mg)の服用がはじまる。其れが少治まったころMちゃんがP30時39分に病室によってくれた又疎のころから滅が出はじめ49,5℃まで上がったので熱さましをお願したり主治医を呼んでいただいたり大騒ぎだった。頭が成利着かないので又改め書こう。

 

3月25日(木)曇り

今朝から咳をするたびに血痰出てくる。熱も37,5度あり気分が優れないでも嬉しいニュースがある孫のまめ子が昨晩からハイハイが上手になり自分の思う所へ行くようになったらしい。これから危険な事が待っているので充分気を付けて欲しい。今この日記を書いているに寒気がして来たので熱を測ってみたら38,5℃まできている調度いたのみのボルタレンをももらって挿入して様子を見る熱は、抑えたが今度は血痰が凄く出はじめ午前中だけでも30回以上血痰を数える・直止血剤(アドナ錠30mg(トラノサモノカプセル250mg)の服用がはじまる。其れが少治まったころMちゃんがP30時39分に病室によってくれた又疎のころから滅が出はじめ49,5℃まで上がったので熱さましをお願したり主治医を呼んでいただいたり大騒ぎだった。頭が成利着かないので又改め書こう。

3月24日(水)曇り

今朝から咳をするたびに血痰出てくる。熱も37,5度あり気分が優れないでも嬉しいニュースがある孫のまめ子が昨晩からハイハイが上手になり自分の思う所へ行くようになったらしい。これから危険な事が待っているので充分気を付けて欲しい。今この日記を書いているに寒気がして来たので熱を測ってみたら38,5℃まできている調度いたのみのボルタレンをももらって挿入して様子を見る熱は、抑えたが今度は血痰が凄く出はじめ午前中だけでも30回以上血痰を数える・直止血剤(アドナ錠30mg(トラノサモノカプセル250mg)の服用がはじまる。其れが少治まったころMちゃんがP30時39分に病室によってくれた又疎のころから滅が出はじめ49,5℃まで上がったので熱さましをお願したり主治医を呼んでいただいたり大騒ぎだった。頭が成利着かないので又改め書こう。

3月(金)晴

ボ〜を指定何も出来ない。

3月27日(土)曇りのち雨 

朝10時ころ先日頼んでおい部屋がへしてくれこんごは、7階717号になった。そして、皆で肩付けをしいていたら娘が、立っておりびっくり尼先から、孫を連れてあいにきてくれたと、お思うと。かおが涙で濡れて霞んで見えて

4月1日(木)晴れ

今日は、風もなく絶好の外出日和のようだ。朝6時検査の為の採血があり、それがたすんだらお母さんが帰っていった。矢張り病院の簡易ベッドでは眠られないだろう。こんな事をしていてはお母さんが病気になってしまう。早く自分が精神家気に立ち直らないとどうしようもない。主治医の、言うのには肉体的には立ち直りかけているのだから、「何時もの貴方らしくないもっと強い意思があるはずだ。何を甘えていると」と大目玉を頂いた。言われてみるとそういえは此処暫らくの、間強い発熱(49,℃以上)が何回もあり食欲の不振、酷い下痢依る不始末、熱によって立ち上がる事も出来ない等、の新しい症状が出てきて精神的ショックが強すぎた。其れと肉体の状態が離れすぎたのかな。依ることで体の回復に心が付いて行けない様で無いかと思う、難しい理屈は良く解らないが心身のバランスの問題さ・・・

4月2日(金)曇り晴れ

朝方、6時ころおかあさんが家に帰っていく、昨日とは、気分が現実を受け入れ始めたので落ち着いてきた。少ししたら今までの私に復活するだろう。血痰なども殆んど、で無くなり夕方になると微熱が少し出て来るが昨日も夜20時過ぎて38℃まであがった。16時過ぎに、前の主治医であったS先生が又赴任してきたからと病室を覗いてくれて暫らく病気の現状などを話した。夕方、息子が病室に来てくれお母さんの此れからの話をして一応の話は出来たので、夜この話をしたら「あんた達は、何を詰まらん事を話しているのですが、其れは私の考える事で貴方達の考える事ではありません。と一笑され却下され話は終わり「私のことを考えてくれるなら病気と一日でも長く付き合って1日でも長くこの世に居て欲しいと」これさえ考えてくれればそれでよいと言われ又涙腺がゆるむ。夜、トイレに一人で行けた、これで夜お母さんに来ても泊らなくてもすむ。バンザイ。

4月3日(土)晴れ

昨晩は、良く眠れなくて2時30分まで覚えていた。朝は、6時30分に起きてしまいトイレに行き帰って来たら、妻が帰る支度をしていたので妻を送ってボルタレンを挿入していたりしたらもう朝ご飯になる。午前中は、昨夜が続いて居てハッキリしないので、眠ったり起きたりして過ごす。13時ころ、車椅子でディーコーナーへ連れて行ってもらって、外を見たら桜が5部咲きくらいで凄く綺麗だ。近年は温暖化の影響で葉桜の下での入学式が多いので、今年の入学式は、本当に満開の桜の下で迎えられたら最高なのに・・・部屋に戻って山を見ると山桜もだいぶ色が出てきている。15時過ぎにまめ子と娘が病室へ来てくれて1時間くらい話をして帰る。

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