2002年

化学治療日記(05月19日〜05月25日)F

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5月19日(日)晴れ

12時過ぎに、妻が昼御飯に食べるように寿司を買って来てくれた。妻の話だと、ラグ−ナのショッピングモールが最近開店したので婆ちゃんと、2人で行ってきたけど凄い人出で買い物など出来る状態ではないと言っていた。4時過ぎに、息子達が、来てくれその時に新しい治療方法の話が出て、免疫療法などを受けたらと言う話が出た。しかし、俺は家族の傍で治療を受けたいし、一ヶ月も家族と離れて治療をしたくない。やはり家族のいる町で、家族に支えてもらって治療を受けた方がより、普通の生活に近づけると思うし自分で治そうと言う気力が湧いてくるような気がする。

5月20日(月)晴れ

あさから五月晴れの凄く良い天気だその中で俺はなぜこんなに眠たいのか朝御飯の後横になっていたら眠ってしまい看護師さんに声を掛けられるまでグーグーに寝ていたそんなわけで2回目の朝は10時30分過ぎていた。午後からも集中力が無くて、何をしてもすぐ飽いてしまい寝たり起きたりのグウタラ生活だ。4時頃、S先生の回診が有って今日の血液検査の結果、白血球の数は2700になって貧血の症状もだいぶ進んでいるようだ。次の検査は、木曜日にするとのことです。昨日、他の病室の患者さんに借りた「命の水πウォーター」と言う本を読んでみたけれど、何かコマーシャルせいが強く本質的なことが良く解らない。

5月21日(火)晴れ

10時前に、S先生の回診が有り、昨日から鼻水とクシャミが出ると言ったら軽い風邪薬((PL顆粒)を処方してくれるそうです。4時頃、Mちゃんがチーズケーキを作って、持ってきてくれたので夕食の後で食べてしまった。旨かった。よる7時過ぎに、妻が婆ちゃんと一緒に洗濯物を取りにきた。妻の話だと帰り、に最近開店した鮨屋(回転すし)さんで食事をしていくと言っていた。

5月22日(水)曇り

今日の空は、曇って居るけれど雲が高く薄日が射してさえ居て風も無く、ほのぼのとした感じがする。10時過ぎに、S先生の回診が有ったが、「今日は特別することもないので1日のんびりしてください。」と言われたけれど毎日のんびりさしてもらって退屈だ。となりのベッドのKさんが、一時退院されたまた来月4日に、再入院されるそうですそれまでに私は退院できないだろうな。

5月23日(木)曇り後晴れ

朝、5時過ぎに採血があった。ごご、隣のベッドにSさん(高齢の人)が入ってきた。3時前に、S先生の回診が有り白血球の数が2100に減ったので、明日から白血球を増やす注射(ノイトロジン)をするそうです。そして週末は、外出禁止に成ってしまった。回診の後、胸のIVHを抜いてもらった。HPのアップがまた1週間延びてしまった。

5月24日(金)晴れ

昨日、同室に入院してきた患者さんについて、看護婦さんの対応の大変さをしらされた。その患者さん(高齢の患者)は、入院してきてから痛い痛いと叫びつづけていた。看護婦さんは、同室の私が眠れないのではと思い、9時過ぎに患者さんをナーススティーションへ連れて行って面倒を見ていた。そしてあさ8時過ぎにまた病室に連れて来た。おかげで私は、ぐっすり眠ることが出来た。9時過ぎにノイトロジンに注射があり、すぐS先生の回診が有った。午後2時過ぎに、突然妻が、夕御飯のおかずを持って来たので突然何があったのかとビックリした。夕食に、妻の持ってきた太刀魚の刺身と、鯛のあら焚きを食べた本当にうまかった。

5月25日(土)晴れ

9時過ぎにノイトロジンの注射があった。今日は、土曜日なので病院の中が静かで何と無く寂しく感じる。夕方息子達が夫婦で来てくれた。朝日新聞記事(高校生の茶髪を奨励している感じの記事)について・・・新聞社の考え方だから仕方が無いけれど、こんなことを大々的に取り上げて、社会的影響は関係無いのかと考えさせられる。高校生の茶髪等は、自由とは言うものの、今現在の夫々の置かれている立場を考えて「・・・らしい生活」をして欲しいと思う。7時過ぎに妻が洗濯物を取りに来てくれた。夕方、どじつき先生の掲示板を見たらイレッサが7月頃承認される予定だそうです。これは、うれしい情報だ。イギリスの製薬会社が開発しゲフィチニブという成分の肺がん治療薬が国内で承認される見通しです。がん細胞が増殖を始める時の働きを抑える新しいタイプの抗がん剤で、アメリカでは審査中で承認されれば世界で最初になります。

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