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流行歌 ―― Diary by nami ――

T

流行歌    

   ―― Diary by nami ――           

 

  =前書=

 二者選択。本来オンとオフしか選択肢を持たない構造。それが一ミリにも満たない回路を通過するだけで無限の可能性を与えられる。さらに何度かのオンとオフの繰り返しと、さらなる回路を通過することによって 地球さえ制御する神へと変貌をとげる。 

 およそ300年前。西暦の年号でいう2500年をもってG・R・Pは実行に移された。それは全人類による、イエスかノーの選挙によって決定された。

「300年のスタンスで臨むプロジェクト」

ガイヤ リターン プログラム。それは、宗教色を払しょくするために、西暦の年号を廃止することから始まった。それは中世の時代の”魔女狩り”的な要素もあったが計画の象徴として宗教がやり玉に挙げられた。そこにはテンプル騎士団の怨念が込められていたのかもしれないが真実は誰にもわからない。

計画は「ノアの方舟もどき」と評されたように、必ずしも好意をもって執行されたわけではないが、すべてを選挙によって決定されたように、少なくとも表面的には首謀組織が存在しない構造だけに人々は不満を言う相手もなく、計画は実行に移された。

「コンピュータを教祖に据えた新興宗教のような体制」

 食料などの生活用品の生産をマザーコンピュータで管理されたITで生産する構造に不満は少なかった。

ナミが50歳になったとき,G・R・Pは計画の300年を二年ほどオーバーしていた。そして伸びきったゴムが突然はじけるように時代もナミの周辺も突然激しく動きだす。。

  

登場人物

 ナミ      このdiaryの作者

 アイボー    ナミのホームコンピュータ

 アイ      ブライダルで出会った謎の美女

 スタディー   生まれたときからナミのそばにいた親友

 テラ      スタディーを愛する女

 ドクター0“  ナミのかかりつけの医者 ヒューマン主義

 グランド    ポリス

 アン      キャリアサークルのリーダー 

 ルーキー    サークルの新人。スタディーの後釜 

 サラ      宗教サークル、ゼロの会のリーダー 女

 ゴースト    システム主義メンバーのひとり。無知は罪悪、といった謎の男

 フリー     謎の女 

 

  ==T==

 −1−  〜その始まりは女、アイ〜

 

火は人が創りだした道具の中では最高傑作であり、それはいつの時代でも変わらない。

灯もまた永遠のはずなのだが、現代では、このふたつの存在が生活に占める割合はかなり低い。それだけ生活環境が進化したということなのだろうが、人そのものが、その環境の変化に対応できているかというと、はなはだ疑問だったりする。

「人は地球に巣食う害虫」、人が地球の存在を認識したころから出ては消える言葉。だが実際には「人こそ地球の主」と思い上がっている。

害虫になったり主になったり不安定なのが人の習性と言えるわけで。

 

ゲートを抜けると濃い乳白色の先に,外部からの数個の灯が頼りなさげに浮かんでいた。見なれた構図のはずなのだが今日はみょうにリアルに映った。この環境の中で見る灯から生命の存在を感じることはない、と。かなりの意識過剰。あいかわらず最悪のメンタルアクテビティーの中にいる。

遠近感が存在しないデザインで群生しているはずの木や草たちにしても,どれだけの者が生物なのかわからない。確実といえる視界は腕をいっぱいにのばした少し先程度。ところどころに転がっているシャドールームがさらに閉塞感を強くしている。  

少し高めの湿度とオゾンをたっぷりとふくんだクリァーな酸素。そして,無菌の空間。ゆっくりとミルク色の霧だけが流れるモノクロ画の世界。生の存在そのものが妙に頼りないものに感じられる。

――フン! われながら、だよな。

ため息になった。あれから必要以上に理屈っぽく考えるくせがついたのは自覚している。常に不安定なメンタルも感じている。いまの環境の変化に対応できないでいる、と。

「社会人失格だぜ。・・・マインドのコントロールは現代を生きる上での最低条件なのに・・・」

言いかけてやめた。このセリフもオレの口癖になりかけている、らしい。

必要以上に考えすぎなければ,この空間は居心地のいい場所だ。ぼんやりと浮かんでいる大小の灯を横目で見ながらゆっくりと歩きだした。

あの日を境に、オレがこのブライダルに遊びにくるのはストレスを押さえきれないとき、が多くなった。最近では,この空間の中を少し歩けば精神が安定する、こともおぼえた。

正確には、おぼえてしまった。以前のオレには、人恋しいなどという感覚とは無縁だったように思える。おそらく生まれてからずっと。

一歩踏みだすたびに地面が“キュ! キュ!”と、軽く小さなリズムをきざむ。このパートナーに自分の存在を知らせるための音にはリラックスさせるリズム感もある。視界のきかない霧の中をいつもと同じコースを歩きながら霧の切れ間を探す。この方向感覚にはスタディーもあきれたていた。どうやらオレにしかできない芸当らしい。

 パーチャルパークやカルチャーゾーンの中でも,このブライダルのタイプがベストのリゾート空間,だと知ったのもあれからだ。単に。セックスだけの目的ならホームのベッドでバーチャルセックスを楽しむほうが期待はずれがなくていい。それでもブライダルにくる者が少なくない,ということは,やはり人は,時には肌のふれあいを求める生き物,なのだろう、と。

もちろんセックスはスポーツである。本来は生殖機能をもっているのだが現代人にその感覚はない。男も女も完全に生殖機能を制御されている。つまり男の精子や女の卵巣さえシステムに組み込まれている、と。昔は生まれた時点で完全に摘出していたらしいが,「人の無気力いう副作用が問題。人という生物の未来に対してあまりにも無責任な法」 という議論になり,けっきょく自然体で残すことに改正された。五十年前のことだ。「俺の生まれた年の事件」 としてダイアリィーに書きこんだ覚えがある。議題が出たのがその一年ほど前で当時、「これほど重要な法案がわずか一年で認定されるのは異例のことだ。どこからか圧力がかかったに違いない」 と,話題になった、らしい。真意はわからないが,このころから、「人の活動が活発になった」 のは確かのようだ。

要するにオレみたいな横着者が減って、住みにくい時代への分岐点になったわけだ。おかげで、それ以後に生まれた者は自分の意思に関係なく、生殖機能の制御はドクターの管理下にはいり,体全体のケアの中の必要項目にふくまれるようになった。

 もっともオレをふくめた大多数の者が定期健診で呼び出されるから仕方なく行くくらいだ。特にオレが契約している主治医のドクター0”はうるさく言う。やつの場合、定期健診でもないのにオレを呼び出したりする。

同じ歩幅でゆっくりと歩いている。一定のリズムをきざむ足音がオレに安心感をあたえている。ドクター0”を思い出しているということはストレスも収まってきたのだろう。

0”とは不思議な関係だ。「100%信用できるわけではない。しかし、信用できる」、こちらが安心してしまわなければ信用できる、と、いったところか。

どちらにしても、今のオレには、「会っていてもストレスのたまらない数少ない人」スタディーにたよりすぎた生活の後遺症、がでている。

ストレスがおさまったのはいいが肝心のパートナーが見つからない。いくつかのシャドールームは転がっている。人がいないわけではないのだろが。

――みんなお楽しみってわけか。・・・帰るか。

そんなことを考えはじめた頃、いつもと違う状況に気がついた。「流行・・・歌?」 

いつの間にかBGMが曲に変わっている。それも歌詞つきの流行歌。いつもなら虫か鳥の声がひかえめのボリュームで流れている。時々は心臓音を模した振動音の場合もあるが、それは、この空間が子宮をイメージして作られているからで、違和感はないのだが、少なくとも流行歌のBGNに出会ったことはない。世間が騒がしくなると変わり者が多くなる? こうして流れている以上誰かがリクエストしたはずだ。

最もこのBGMに、それほど違和感がない。ピアノと音声だけのシンプルな曲なのだが、みょうに心地良い耳ざわりがこの空間の雰囲気になじんでいる。

 

形のないものをスケッチして 男と女

  混ざり合うことのない色は 筆の先から旅立つやさしさ

  愛している 愛してる 恋人? それが恋人?

  今はただ 耳もとでささやいて ラフの時代に流れよう 

  古い時代のママのように やさしい頃のママのように

  ただの、ただの偶然から生まれる命のよう

 

この歌に違和感がないのは、やはり現実ばなれしたブライダルの空間の中だから、と納得した。しかし歌詞の意味は理解できない。ママとはマザーの愛称? 愛? 恋人? すべてが知識としては知っている、昔の言葉、でしかない。

そういえばこの歌は、なにかの番組で聞いたおぼえがある。確か音楽番組ではなくニュース番組で解説者が、「歌は時代を映すカガミでなければならない。なのに、この歌には知性も何もない。意味のない単語を並べただけの醜悪きまわりない歌だ」 と、けなし、最期に、「二度と聞かないほうがいい!」 と決めつけていた。その時オレには、別に目くじらを立てるほど醜悪とは思えない、だったが、その解説者の言葉にトゲというか悪意が感じられたのをおぼえている。

その時は、その程度にしか考えなかったが、あらためて、このブライダルの中で聞くと悪くはない。この知識として知っているだけの言葉も、潜在意識の中では生きてるってことか?

あいかわらずゆっくり歩きながら、みょうなことに関心していると少し先で霧が切れはじめた。

まったく、流行歌が流れ出すタイミングに合わせたようだ。オレは霧の切れ目が少しずつ大きくなりだした方向にむかって歩きだした。吸音性の高いこの空間の中で“キュ!”、キュ!“という足音だけが少し大きくなった。

頭の部分までカバーする不自然に目立つ赤いソファー・タイプのベンチは、パートナーをもとめている、のサインなのだが・・・。

――酒? 流行歌の次は酒か。

 続いておきた過去に出会ったことのない状況。この甘い香りは、ベンチから流れてくる。たぶん天然酒。ドクター0”が、いつでも、このにおいをプンプンさせている。それにしても、このブライダルに酒を飲んでくる者も珍しい。

しかし、そんな常識とは別に好奇心がわいていた。このオレには珍しい。引き寄せられるように二歩ほど進むと顔をはっきりと確認できた。まちがいなく女。女専門のオレとしては、とりあえず安心できた。このパターンはいつもと同じ。しかし、またしても、いつもの出会い、とは少し雰囲気が違っていた。そこにいた女はまったくの無表情。

それでも「気の強そうな女は苦手」、のオレが女の顔から目を離すことができないでいる?。

――声をかけるタイミングがつかめないなんて初めてだ。

ギリシャ神話の中の大理石の女神像のように整った顔と透きとおるような白い肌。そして金色の髪。むき出しの長い足を大きく組み、両手をソファーいっぱいに広げている。   

タイプとしては、昔の美人の定義にぴったりおさまる、といえばわかりやすい。髪の色や肌など、すべてのパーツが霧と同系色にもかかわらず、その存在感は圧倒的。ただ、金色の髪間からのぞくブルーの目に不安の色が感じられた。ブライダルで出会う女たちは挑戦的な目をしている場合が多いのに・・・。

だからといってオレを無視している様子でもない。しかし、大きく広げた両手がオレの分のスペースをふさいでいる。

一歩前に出ると、不安の色の理由、がわかった。顔は正面をむいているのに視線は地面に落ちている。まばたきさえしない。この目的のはっきりしているブライダルでパートナーとであったときには、「イエス」 、か 「ノー」 のどちらかの態度を示すことでゲームがスタートするはずだし、それがマナーなのだが、この女の態度はそのどちらでもない。指先ひとつ動かそうとしない。

もっとも、この状況で逃げ出さないのだから今日のオレはどうかしている。自他ともに認める、「まったく好奇心も積極性も持ち合わせていない男」のはずのオレの頭が状況を把握しようとフル回転している。

酒のにおいは、やはりこの女からだった。霧が、時々オレと女の間に割ってはいる。声がかけられない。このみょうな間も、はたから見れば間の抜けた構図に違いない。ブライダルで男と女が無言でにらみ合っているのだから。

じれたオレが、「・・・君は」 と、切り出そうとしたとき、流れている流行歌のボリュームが少し上がった。実際に上がったかどうかはわからないがオレには上がったように思えた。

出かけた言葉がとまり、女の顔に釘づけになっていたオレの視線が少し上に動いたとき、

 

  I  LOVE YOU なんて

  耳もとで そっと ささやいてみる

  あなたの  目もとが 少し 赤く染まったりするけれど

  それで 男と女のミゾが埋まったとは思えなくて

  愛のかたちなんて 見えるはずがない

 

女は歌にあわせて指先で小さくリズムをとりだした。初めての動き。同時に顔の色が生気を取りもどしたように、かすかなピンク色に変わった。まるで流行歌に背中をおされたような・・・。

・・・あるいは操られるように。

オレの足も動いていた。地面がひとつ ”キュ!” と無機質な音をあげる。おどろくほど女の顔が近くなった。ブライダルでのルール、としてはありえない行為。

しかし女は驚いた様子を見せなかった。それどころか小さく笑ったようにも見えた。

――大理石の女神が生身の女に変わった? 

一瞬の変化。そのギャプにとまどうオレに女の唇が、「座って」 と動き、広げられていた右手が金色の髪をかき上げた。自然にオレの座るスペースができる。

「・・・アア」

オレは上ずった声で答えながら、操られるようにそこに座った。それでも、かろうじて、「今日はなんて呼ばれたい気分だい?」 と、言えた。

「そうね。・・・ジョーク、って気分かな」

 女は、笑いながら答えてきた。そして、「君は?」 と続けた。

オレは、あわてて、「ジョーク? ・・・じゃ、オレはラブにしようか」 と答えた。うわずっている割にはしゃれたネームになった。あるいは、流行歌の歌詞が頭の片すみに残っていたのかもしれない。

「・・・ラブ? ふーん」

 女は意味ありげに言った。そして、「フ、フ、フ、 アンティークな感じがぴったりかな」と、まるでオレをからかうように笑った。

「・・・ラブってそんなに変かい?」

「そんなことはないよ。素敵だよ。ただ、君には似合わなかな、と思ってネ」

「似合わないって、俺に? 君は俺を知ってるのかい?」

この女は記憶にない。しかし・・・

「会ったのは初めてだよ」

 あっさりと言われた。会ったのは初めて? しかし、これ以上追求するのはやめにした。リズミカルに動く赤い唇に見入っているようなオレの頭が正常に働くわけがない。

「そうか。初対面なら手順どおりにいかないとね。・・・ジョークは相手が男でいいのかな?」

オレはマナーどおりに進めることにした。これだけ、女の一方的なペース、ではきりがない。

「もちろんヨ」

女は弾むような声で言った。大きく踊った金色の髪と笑い顔に、またしてもペースを乱されそうになった。急く気持ちをおさえるように、「センスのいい顔をしてるよ」と、かろうじて言った。

「ありがとう。オリジナルよ」

 次に見せた顔は、無邪気。こちらとしては、からかわれているような感じ、さえする。

オリジナル? やはり記憶にはない顔だが、と、言うかわりに、「酒は好きかい?」 と、聞いた。これも疑問のひとつには違いない

「酒は好きだよ。・・・だけど、今日は特別」 

 言いながら、また女の顔から笑いが消えそうになった。わずかの間があく。冗談ではない。オレは、「俺はブライダルの雰囲気が好きでリラックスしたいときにはここにくるんだ。もしかしたら、君も?  それとも、ブライダルにくるのが初めてで、それで酒を飲んで、とか?」、あわてて言い、「パートナーが見つかったからといって無理をする必要はないよ。セックスが嫌いとか」と、続けた。

――異常なほど感情の起伏の激しい女。・・・だけ、なのか?

ジョークは、「本当に、ラブって本当にそういう人なんだ」 と、笑った。そして、「今の時代、相手の気持ちばかり考えてると疲れちゃうヨ」 と、いちいち意味ありげな言葉が出てくる。わずかの間にも違和感がのこっている。

しかし、かろうじて、「なんだい? その、そういう人、ってのは」と、答の予想がつくほうの質問を、笑いながら選ぶことができた。

ジョークからは、「いい人ってこと」、と、やはり予想した返事が返ってきた。そして、「私がセックスを嫌いなんて、それこそジョークだよ」と、唇をすぼめて見せた。

それを合意とうけとったオレが、「それじゃ・・」 と、言いかけると、ジョークは、「でも、少し話をしない?」 と笑った。あいかわらずのペースだが、これでは、「もちろん。いいよ」 と、笑い返すしかない。

 ブライダルで、交渉にこれほど時間をかけるのは初めてだ。じつはオレらしくもなく少しばかりのアセリがあったりする。しかし、それがストレスにならないから不思議だ。すでにきのうからにストレスも消えている。正確には感じているヒマもない・・・。

正面からオレを見るブルーの瞳に吸い込まれそうになった。笑顔がにあう目だ。  

 しかし、オレの希望するセリフは出てこない。

「ラブ、君のキャリアは?」

「ずいぶん突然だね。素粒子物理学の研究部門だよ。ビックバンの重力メカニズムを動力利用するプロジェクトさ。もう少しで発表できそうでね、けっこうバタバタしてるよ」

 一気に言った。動力源としての核融合や水素燃焼などの燃焼系のエネルギーにはネガの要素がついてまわる。そして複雑になりすぎた電気系エネルギーからの脱皮。オレは、この自然の能力を活かすためのキャリアを気にいっている。しかしジョークは乗ってこなかった。

「まだ基礎研究の部門だよね。じゃ、クレジットはISOSからかな?」 

いたって現実的な質問が帰ってきた。やはりオレたちキャリアに対する一般的な認識はその程度、だ。美人とブライダルにはにあわない話題だぜ、と言ってやろうと思ったがやめた。救いはジョークの声が弾んでいることか。

違和感さえ持たせるほどに、・・・だが。                                                                            

「クレジット? 困ったことを聞くね。確かにISOSがメーンだけど、他にも二社の営利団体からカウントされてるはずだよ。うちのサークルには優秀の男がいてね、マネージメントはすべてそいつが管理しているからよく知らない。カウントされた後はアイボーまかせさ。こちらは、本当にまったく知らない」

 正確には、優秀な男がいて、ではなく、いた。今のオレの悩みの種だが、ここで言う必要はない。

「アイボー、ってホーム・コンピューターのこと? ダメだよ、すべてをコンピューターまかせの生活じゃ。・・・情報が筒抜け、なんて考えたことないの?」

「そうだな・・・」

 次は説教? オレがしっかり者なら、今頃このブライダルに来るようなはめにはなってはいない。だいいち、現代のシステムの中で個人情報が流出してこまる者などいるとは思えない。

「ねぇ、ブライダルって言葉の意味を知ってる?」

「昔あった結婚っていう儀式のことだろ」

「そう、結婚。男と女がおたがいを保有しあうための儀式。そして籍を入れる。今でいえば、同じ登録にする、って感じだね」 

「同じ登録?」

「うん。少し意味は違うけど、家族制度、ひとかたまりの登録。血縁関係の出発点。・・・イメージとしては、そんな感じかな。それが家族」

 ジョークは胸の前で両手の指で輪を作ってみせた。オレは、「・・・よくわからないけど、そんなもんかい?」 と、しか答えようがない。とまどうオレを見て楽しんでいる・・・。

「フ・フ、意味不明って顔だね。昔はね、結婚の前にキャリアとかクレジットとかの生活の情報を交換したものなの。それで納得していっしょになる」

「なぜ?」

「なぜって、おたがいを理解するためよ。・・・じつはね、今日の私は、それをしたい気分だったの」

 女の顔が、まるで少女のように笑った。この顔があるから始末が悪い。

「・・・それで、理解できたのかな?」

 オレは少しだけ体をずらしながら言った。もう少しこの不思議な女を知りたい、という欲求と、それはブライダルの中である必要はない、という思いが交差している。「ブライダルはミーティングする場所じゃないぜ」

「そうだね」

「ジョークは俺の好みのタイプだ。君は?」

「私は初めからO・Kだよ」 

 女の手がオレの手に触れた。初めから、O・K、という返事が気にはなった。しかし聞き返すのも間の抜けた話だ。やっと常識的な、ブライダルの中でのゲームのスタートラインに立った、というのに。

 オレはジョークの目を正面から見たままベンチのすみに設定してあるはずのB・R・S の位置を探った。オレは、このB.WでB・R・Sを探し出す能力は他人より高いらしい。つまり脳波はつよいらしい。もっともオレ本人に実感はないが。

そのとき。あいかわらずミルク色の霧がゆっくりと流れる空間。はっきり、といえる視界は腕をいっぱいに伸ばした少し先程度。この空間の中で、お互いにパートナーを求めている者以外の人に会うことはほとんどない。しかし今日のオレは、まったくついてない。最も、近くにシャドールームがあることに気がつかなかったオレの不注意もあるのだが。

 いつの間にか流行歌は消えている。突然となりから “ジ!・ジ!・ジ!” 、という信号音が小さくひびいてきた。わずかな間をおいて “パチン!” とシャドールームがはじけた。

現れたのはニュー。

霧の中からストレスのもとが現れた感じ。となりでは黒い肌をした女が大きな伸びをしている。

「ヨウ、これは奇遇だな。・・・そうか、別に奇遇でもないか」

 霧のむこうに気まずそうな顔と見慣れた首筋の脳波増幅タトーがあった。その声に昨日の勢いはない。

「・・・ヨウ」

とりあえずニューのセリフをそのまま返した。そして、「なんだい、奇遇でもないか、って」 と続けた。オレも大人だ。

「ハ・ハ・ハ! ナミも昨日でストレスをため込んだ口かな? と思ったのさ。違うかい」

 ゆっくりと答えてきた。いつもの、エリートキャリア意識のかたまり、で早口の、この男らしくもない。必ずしも、この非日常的なブライダルの雰囲気のせい、ばかりではない。オレが、「ア・ア」 と小さくうなずくと、「君にはすまないことをしたよ。もうしわけない。俺のほうは、自己嫌悪だよ。おかげでB・Wをコントロールするどころじゃなくてさ、生活できなくなった。・・・わかってはいたんだよ。宗教の者を相手に論争しちゃいけないことは。だけど押さえがきかなかった。本当にすまない」

 いっきに言った。いつもの早口ではなく、言い訳をしている感じ、に安心できた。おそらく、この男に感じた初めての感情。それ以上に、このブライダルに対して同じ感情を持っている者がいた、ことが気持ちを軽くしている。それでも、

――迷惑なめぐり合わせにはちがいない。

「技術系のキャリアの者の共通の弱点だな。口では勝てないよ。あらゆる論争に対応するシュミレーションをプロミングしているんだからからな。それが彼らのキャリアさ」

「そう言ってもらうと救われるよ。実は君にあやまりながらもう一度話をしようと思ってルームを出たんだけど・・・」

「もういいさ」 

 両手をあげてニューをさえぎった。マナーをわきまえろよ、とも言えない。わざとらしくジョークの顔を見ると、肝心のジョークが、「ゆっくり話しなよ」 と笑い返してきた。

「ありがとう。いいパートナーを見つけたな。すごい美人だ」

二ユーは無遠慮に女の顔をのぞきこんだ。自分の都合しか考えないペースはあいかわらず。すぐに、「昨日君のルームへいったのは、・・・君も噂は聞いてると思うんだが選挙が近いんだ」 と、ふってきた。

「遺伝子部門を生物部門から宗教部門への管轄変えの件だろ」

 しかたなく答えた。ニューがわざわざオレのルームまでくる用件といったらそれくらいしかない。もちろん、まだ告示前だから事前運動になる。オレの口から言わせたかったわけだ。 「わかっているからいいよ。俺も宗教部門の勢力が強くなりすぎるのはまずいと思っている」 と、続けた。

本心。今のオレのストレスのもとは、スタディーを引き抜いていった宗教団体・ゼロの会。オレは彼が、自分の意思で行ったのではない、と信じている。そして、オレたちのサークル全員がゲスト契約している宗教サークルのオールドタイムの担当者のゴットが、きのうオレのホームでニューと出会ってしまった、のが今日のオレのストレスのはじまり。

しかし、それも些細なきっかけに過ぎない。問題はつまらないきっかけに過剰に反応する、現在のオレの精神状態のほう。わかっているだけに自己嫌悪が輪をかけている。

「察してくれて助かるよ。生産性を持たない宗教系サークルにふりまわされるのもバカらしい話さ」

 ニューはきのうの失態を忘れたかのような薄笑いを見せた。「・・・ノルマがあってな、遺伝子部門なんて華やかなだけで実態はノルマのかたまりみたいなものさ。実務はもちろん、今回のようなトラブルの時にもノルマがついてくる」

「選挙がトラブルなのか? ・・・ま、俺のことは気にしなくてもいいよ」

 今のオレには選挙よりも後ろにいるジョークの方が大問題だ。「それじゃ・・」 軽く手をあげた。

「気が楽になったよ。それにしてもナミの、ゆるさ、にはつい甘えてしまう。たぶん、あのゴットって男も」 と、わけのわからないことを言って笑った。「マ、いいか。それじゃ、ヨロシクたのむよ。宗教は勢力拡大の思想が強すぎる。その頭があるから意地になって迷惑をかけた」

エリートの硬さが顔にでている。だが、オレには関係ない。勢力争いなどに関わりたくはない。

 そのとき、二ユーの相手の女が、「私、帰るね」 と言った。女のほうがマナーをわきまえている。ブライダルはミーティングの場ではない。オレが、「ジョーク、待たせてごめんよ」 と、振り返ると背中から、「ナミ、それじゃ!」 と、聞こえた。

オレは、「がんばれよ」 と、手をふった。少しは本心も入っている。霧の中で “キュ!、キュ!” というふたつの足音と、「バイ、バイ!」という女の声が響き、すぐに消えた。

頭のすみに、・・・二度とこの二人が会うことはないんだろうな、と浮かんだ。

「それじゃ、ジョーク・・・」

あきらかに動揺した声になっている。始末の悪いことに女に余裕がうまれていた。

「ナミ、か」

女のブルーの目がいたずらっぽく笑っている。まったくやりにくい。はじめからこの女には、見透かされている感じ、がしているだけになおさらだ。ブライダルで登録名を言う者などいない。システムでがんじがらめの世の中に残された数少ない、遊び、の許される場所なのだから。

「あらためて、ヨロシク」 と、受け流し、「それじゃ、行こうか」 と続けた。

シャドウルームに入るのに、行く、という間の抜けた言い方になった。

「そうね」

 女が言うのとほとんど同時にベンチが広く広がり白い壁に包まれた。女が先にベンチのB・R・SにB・Wを送っていた。どうやら、この女の好みは白い壁らしい。

ジョークは背中を向けて服を脱ぎ始めた。白い肌がむき出しになると、この女が白い壁を好む理由がわかった。白い壁の中で白い肌が輝いている。

 ゆっくりとふり向いたジョークはオレの服をぬがしはじめた。あきらかに、呼吸が一定ではない。途切れ途切れの声で、ゆっくりとしゃべり始めた。それは、オレに聞かせるというよりもひとり言にちかいものだった。

「そう、たしかに宗教は危険だわ。でも思想そのものは間違ってない。人間なんて弱い生き物だから何かにたよって生きるほうが自然かもしれない。・・・ただ、利用されやすい体質が・・・」

――利用されやすい体質? ・・・宗教が? 

意味ありげな言葉とは別に、指だけがひとつの生き物のように微妙な動きをくりかえしている。しかし同意を求めたり返事を待っているのではないことはその動きでわかった。「・・・人類の歴史は抗争のくり返しだった。有史以来。人間の本質は戦い、勝つ、ことだった。だけど、人類はエスカレートする戦いのスケールにたえられなくなった」

 オレはされるがままになっていた。・・・人類? 人間? ふしぎな言い方だ。正確には、むかしはその言い方をしていた、のはオレでも知っている。逆らいがたいリアル感。

「分岐点は体外受精制度の認可。技術そのものは、その何百年も前からできていた。・・・フラスコの中で精子と卵子を掛け合わせるだけ。実行の合図を待っているだけだった。そして合法化されたとき、人間なんて怠け者だから、・・・つらい思いをして子供を産もうという女はいなくなった・・」 

 もれてくる声が、荒く小さなリズムに変わっている。話す、というよりも喘ぎ声に近い。オレは上になった。女の手がオレの首にからみついてはなれない。「狙いどおりの結果だよね。・・・簡単に家族登録から個人登録に変わった。このシステムも連動性がないからシンプルで指示された。当時の人類にとって最大の問題だった人口問題も簡単にクリァーできた。人間にとって、子孫を残すという意識がなければ人口は少ない方が生きやすかったんだよね」

――種族保存の本能?

 たしか、そんな言葉があった、らしい。個人よりも種族保存を優先したた時代。確か、西暦の年号が残っていた時代。・・・しかし、

 オレはキスで女の口をふさごうとしたが、女はそれをさけてきた。かわりに首に回していた腕の力が弱くなった。「・・・けっきょく、人間なんてすべての生き物の中で一番弱い生き物なのかもしれない。・・・私だって・・」

唇からもれる声が吐息になった。大理石の肌がうっすらと汗ばんでオレとのすきまをなくそうとしている。オレは、女の中、に入ろうとした。しかし。

 ジョークの体はそれを許そうたしなかった。硬くとざしてオレの進入をこばんでいる。体が拒否反応をおこしている? そんな感じ。

「どうした? やめようか?

 体をおこしたオレの下に涙をためたブルーの瞳があった。「・・・やめにしようか?」

「ごめんね。・・・50%の確率だよ・・やっぱり」

 この女の意味不明の言葉にはなれはじめているが、今回は・・・。「無理を言う気はないよ」。オレはくりかえして言った。それ以外の言葉がみつからない。

「ナミも、・・・私も、これで引き返せなくなる。・・・でも、」 

 細い声で言いながら腕がオレの首にからみついてきた。オレも引き返せなくなる? やはり、体と心が別々にうごいている? 「でも、もう一度」まるで確認でもするように言った。それは、自身をせかしているように思えた。

「・・・愛してる」 

 突然、霧の中で聞いた流行歌の一節が口をついた。もちろん.余裕があったわけではない。オレの頭は、ジョークの言葉さえ理解できないほど混乱している。最初のころは、残像処理のときに整理すればいい、と甘く考えていたが、この時点で理解できなけければ記憶にのこるはずがない。とうぜん残像もあいまいになる。

 おそらく、この時点でジョークの言葉を理解していれば事態は、違った形になっていたのだろう。だが今は、そんな初歩のミス、にさえも気がついてはいない。

その瞬間、オレにからみついてた腕から力が抜けた。「愛してる」 二度目は耳もとでゆっくりと言った。引き潮のように女の体から力がぬけていくのがわかった。 

 女の体は、受け入れると同時に激しく反応をくりかえした。体と心が同調した? そして今は、心よりも体のほうが勝っている。セックスそのものは、「バーチャルマシンで十分」 と考えているオレだが今回は違っている。ひたすら、「愛してる」 をくりかえした。

 体をおこした時、指一本動かすのさえ億劫になっていた。体全体を疲労感が支配している。もちろん不快なものではない。女の白い背中が、ひとつの生き物のように小さく波うっている。

「・・・愛してる」、小さく言った。

ジョークは首だけをもちあげ、「エ、何? 」、と答えながらオレを見た。金色の髪が半分ほど顔をおおっている。オレの人生の中で見た最高の景色に思えた。

 わかっている。この不思議な女が危険な香りを発散していることは十分にわかっている。わからないのは、危険とわかっていてもこの女に興味を持つオレ自身の精神構造の方だった。今までのオレでは考えられない。

 ジョークの視線がまっすぐにオレを捕らえている。オレは、目をそらしながら、「シャワーを浴びようか?」、と言った。

「ナミって日本人の血を多く引いてるみたいだね。黒い髪と黒い瞳。それに黄色がかった肌。何より、そのナイーブなところが、あの種族の特徴にピッタリだわ。いまどき血筋がわかる人なんてめずらしいけどね」

 ジョークの笑い声が空間の中で響いた。たしかにオレの体の中には日系のD・N・Aが強く含まれている、らしい。しかしオレは、自分の体がオリジナル、と言った覚えはない。しかし、

「らしいね。だから俺は名前をナミってつけたんだ。日本語でね。スタンダードって意味さ。平凡な人生を送られればいいと思っている」と、ふった。オレの中で、今は追求するときではない、と言っている。オレの勘はよくあたる。

「平凡か。子供の頃からそんなふうに考えてたの?」

「だと思うよ。記憶にないくらい小さいころから、それに疑問を持ったことはないね」

 じつは、スタディーからの影響、を感じないでもない。しかしスタディーはカリスマ値abだが値以上に才能のある男だ。オレは普通にやっていれば面倒なことはすべてやつがかたずけてくれた。生まれた時からずっとその環境の中で生きてきた。

「フーン」

 ジョークはあいまいに答えた。オレとしては自分のことよりジョークのことを知りたかったのだが、どうやら、あいかわらず主導権は握られているようだ。長い指でオレの胸を指でなぞりながら、「ナミはきれいな肌をしてるね。タトーは入れてないのね」 と、つづけた。

BW補強プリントのことかい。今のところ不便は感じないから」

「優秀なんだ」

「そんなことはないさ。俺のカリスマ値なんてbaだよ」

「潜在能力の方は?」

「そんなもの、測定したことないよ。申告義務がないからね」

「フーン」

 ジョークは唇を突き出すようなしぐさを見せた。、これ以上この横着者に言ってみても仕方がない、とでも思ったのだろう。

もちろん自分が横着者なのは認識している。その横着者が、次に会える材料、を探していることの方が不可解だ。さりげなく女の体を見る。その体にもタトーは見当たらない。全身が白く輝いている。

「俺は生まれてからどこもいじくっていないオリジナルのままさ。君も同じだろ」

 整形をしていないのなら、残像を照合すればジョークの身元は見つかる。もちろん整形していても見つけ出すことはできるが、オリジナルなら確実だ。この安易感が、オレの中に少しばかりのスキをつくりだしている。

「そうね」

 ジョークはあっさりと答えた。君は横着だからいじくらないのだし,私は素がいいからいじくる必要がないのよ、くらいの返事が返ってくると思っていたのだが。「そんなことより、少し寝ない。疲れたわ。シャワーはその後」

「・・・そうだな」

 まったくやりにくい。女の質問にはまともに答え,オレの方の質問ははぐらかされてる、そんな構図。「かなり激しかったから」と、せめてもの抵抗をした。

「バカね」

 あっさりと笑ってオレのひたいにキスをした。やはり、やりにくい。このホォローがなければ、後を引かないですむのだが・・。 ジョークは、強引にオレの腕を伸ばして枕にした。そして、「おやすみ。久しぶりでゆっくり寝られそうだよ」 と、いって目をとじてしまった。こうなれば、ストレスがたまってるんだな、と、思うしかない。オレは、「おやすみ」といってほほにキスを返した。

 

 ジョークが、「何コレ! どうしてこんなに高いのよ?」と、すっとんきょうな声を上げた。つられてオレは後ろからパネルをのぞきこんだ。確かに高い。しかし理由は簡単。大幅なタイムオーバー。ブライダルの中に、通常の五倍くらいいたことになる。

「どれ」、オレもパネルに手のひらを当ててみた。オレの方が少し少ないがほぼ同じくらいのカウントが掲示された。もう外は暗くなっている時間だ。顔を見合わせてでた笑い声はほとんど同時だった。

「私たち、なにやってんだろ!」

「どうりで腹がへったわけだ」

 お互いに顔を見合わせて笑った。ついさっきまで非現実的の中にいただけに、この生活観たっぷりの笑いが安心できる。OK、を押してゲートをでると、空にはやはり星が出ていた。

「ブライダルでミーティングや昼寝をする者なんて、あまりないだろうからな」

「いいんじゃないの。睡眠教育が確立されてから、人が何も考えなくてすむのは、子宮の中、だけになってしまったんだもの」

 たしかに。その点では、今日は最高のオフを過ごせたわけだ。ストレスも消えている。もっともスケジュールはオフになってないからアイボウの電子回路の中には抗議のファクスが詰まっている。

「さてと・・」

ゲートから少し歩いたところで、オレはゆっくりとジョークの前に回りこんだ。”OKの自信があった。「俺は、これからも君のことをジョークと呼ぶのかな?

オレは、昔からパスポートを首からぶら下げるオールドスタイルでとおしている。パスポートを指の先でつまんでジョークの顔の前で小さく振った。ジョークがイアリングに組み込んでいるのを見抜いている。

もちろん、身元などは残像画像を照合すればすぐに割り出せる。お互いのパスポートでコードナンバーを交換するのは儀式のようなものだ。「出来ることなら、一緒に住みたいと思っている。君のいう結婚ってやつさ」

 いっきに言った。ジョークが顔をそむけるとは思ってもいなかった。空を見上げた女の唇から小さなため息が聞こえてきた。

「・・・NO、なのか?」

 ジョークは、またしても不思議な女にもどっていた。「どうして? 俺たち、波長が合う者同士、と思ってるんだ。君だって。それが、・・・俺の思い過ごしだったのか?」

「違うの」

 冷静な声が返ってきた。「ナミがいい人なのは知っている。・・・セックスするだけでわかれるつもりだったし、まだ君がナミだってことはわかっていた、だけど。自分の気持ちを抑えられなかった」

・・・知っている? ・・・まだ君が? ・・・ナミ、スタンダード? 疑問だけが頭の中をすり抜けていった。疑問が疑問として言葉にならない。あるのは、理解できないあせり、だけ。

「私はアイ。いつでも自分を信じられる生きかたをしたい、と、思っていたんだけど・・・」

「アイ、・・・自分」

「そう、アイ。・・・このネームをわすれないで」

 そう言いながら、女は背中を向けた。オレの目の前で金色の髪が踊った。背中が、もう一度、「お願い、忘れないで。・・・いまは、なにも話せないけど、私は、ずっとナミを見てるから」と、言い、ゆっくりと歩きはじめた。小刻みにゆれる背中が引き止めることを拒んでいる。

 

   でも、今は、柔らかい

   唇の、感触だけで 満たされている

 

 つぶやくような声で、流行歌が聞こえてきた。アイの声。オレが、「・・・アイ」、といいかけたとき、女の前に車が滑りこんできた。ドアが開く。数メートルの距離が絶望的に感じられる。

「アイ!」

 しかし、オレの求める返事はかえってこなかった。かわりに、シートに座りこんだ姿勢で顔だけをひねって、こちらにうるんだ目をむけてきた。

「今までのナミの人生では、行動しないことが行動、だったのは知ってる。でも、そのクサリは、もう切れてしまったの。もとにはもどらないことはナミもわかってるはず。これからは、行動しなければ見えてこない現実、があることも知ってほしい。もちろんリスクは生まれるけど、ナミなら乗り切れると信じてる」

いっきに言った。そしてドアが閉まり、車は音もなく動き出した。

――やはり、俺を知っている。知らないのは俺だけ・・・。

 知らないことが、理解できないことが、あまりにもおおすぎる・・・。

――行動しなければみえてこない現実?

 

それでも、オレがルームに帰って初めての言葉は、「ハウスを捜しといてくれ!」になった。

――どうやら、しみついた甘さ、は簡単には抜けないものらしい。

あるいは農耕民族である日本人に多かったという、甘さの体質。アイボーが目を白黒させてオレの思考を探っている。もちろん我が家のコンピーターに目などない。ただ、「どうした?」と、答えるだけだった。

ホームコンピーターはオーナーの思考にリンクさせてプログラムしている場合がほとんど。市の上、オレは生活のすべてをおしつけている。スタディーがいなくなってからは特にひどくなった。だからアイボーは、ひと言で大抵のことは理解してくれる。

そのアイボーが、「どうした?」としか言わない。オレは、

「ケッコンするんだよ。ケッコン!」と、アイボーのIC回路を大混乱させたあげく、「まぁいい。・・・ダイアリィーをつける」と、一方的に打ち切った。そして普段ではめったにつけない脳波強化機を頭にのせた。

アイボーは、「ハイ、わかりました。どうぞ」と、みょうに神妙な返事をしてきた。どういうわけかE・E・Gが高いオレからの受信に彼が苦労したことなど、記憶の中には一度だってない。残像処理などパーフェクトといっていい。

最初にモニターに映し出されたアイの顔は自分でもおどろくほど鮮明。「いい女だろ!」、自慢げに言った。ブライダルで見た時に感じた以上にいい女。「コレでオリジナルだなんて信じられるか?」

 アイボーはなにも答えない。今のオレの行動がデータの中になくて混線している? あるいは新しいデータとしてインプットしている最中?

ただ、シャドウルームにはいる少し前辺りから、画像が少しずつあいまいになってきた。「・・・記憶があいまいになってる?」こんなことは初めてだ。

「・・・俺の記憶にガードをかけられてる可能性は?」

 たとえばアイのパスポートから妨害電波が出てるとしたら。あのときアイは、すべてをホームコンピュータ任せの生活じゃだめだよ、といった。情報が筒抜けになると。

 しかしその必要性が分からない。もちろんアイが、そんなことをした、とも思いたくない。しかし。

 鮮明なのは「ナミも、…私も、これで引き返せなくなる・・・でも」のシーンだけ。ただ、この言葉の意味を理解できるはずはない。

 それ以外は映像も記録も鮮明なのは、ブライダルを出たあと。「行動しないことが行動だった。でも、そのクサリは切れてしまったの」これはスタディーをさしている。そして、「行動しなければ見えてこない現実。そこから生まれるリスク」

―スタディーを知っている。オレを知っていて近づいてきた・・・。 

 伝えるべきメッセージとあいまいにする部分が分けられてる感じ。確かなことは、アイからは敵意や悪意は感じられないことだけ。

無言のままダイアリィーを見直すオレに、「ナミの必死さがかわいいです。こんなナミをはじめて見ました」

すでにデータの整理が終わったからのか、あるいは答えの想像がつく言葉だから気楽なのか。とにかくアイボーが生意気なことを言った。

もちろん彼にも、現時点で深刻に考えすぎてもいい結果はでない、ことがわかっているからだ。今までオレとアイボーは、「必要以上に不安を同調させることはさけて」で生活してきた。それが、現代においては必要な処置、と考えたからだ。どちらかがストッパーならなければ不安のスパイラルにおちいる危険がある。それが自殺の定番。現代のシステム社会の弊害。

時には、それがマザーコンピュータの狙い? と思えたりする。ISOSではなく、その本隊であるマザーコンピュータの。

「ばかなことを言ってないで、この女を捜しといてくれ。オリジナルなら簡単に見つかるだろ。あとは整理してダイアリィーに書きこんどいてくれ。俺は寝るから」

「了解しました。だけど・・」

どうやらアイボーはすでにデータの整理を完璧に終わり、次は現実にもどす方向、を選択したらしい。何の気まぐれか知らないが、時々ヤツの処理能力は驚くほど速くなる。これは、これで悪くはないが、こうなると我が家のアイボーは少々うるさい。「いっぱいアポが入っているけど。すぐに連絡をいれとかないとまずい事項も・・」

「明日! キャリアもサボったし、明日はいそがしいことは知ってる。だから今日は寝る。今は頭をリセットしなければ何も考えられない」 

一方的に決めつけておいた。それでも、「こんな感じで、引っ掻き回されたんだよ。その女に」と、ホォローしておいた。アイボーは、オレにはベストの相棒

みょうに興奮状態が続いている。寝られるかどうかはわからないが、ベットの持つあらゆる安眠機能を総動員して寝るつもりでいる。

「・・・すべて明日からの話さ」

自分でもおどろくほどの楽観的なつぶやきになった。おそらくスタディーが消えてからはじめて。 

オレの勘はよく当たる。かならずアイと再会できる、という予感・・・。

アイボーが、「そうですね」と答えてきた。

 

=2=ドクター0“

 

「ナミ、ドクター0“からのテレックスだけど」

 朝、オレはアイボーにたたきおこされた。どうやら安眠機能がききすぎたらしい。「出ますか? まだ寝てるってことわろうか?」、もっともらしく言った。オレが、0”からのテレックスに出なかったことは一度もない、ことなどおくびにも出さない。

「コーヒーをくれ!

とりあえずベットの中で大声をあげながら体を起こすと正面に0”の姿が浮かび上がり、いつもの甘い香りが広がってきた。朝から片手に琥珀色の液体の入ったグラスを持っている。

この男ほど歳の分からな者はいない。顔のしわなどを隠そうとはしないくせにガキのような目をしている。好奇心だけで生きているような男。今の時代にはいないタイプ。

「朝からゴキゲンだな」

「アア、きのううれしいことがあってな。マア、単純に喜んでばかりはいられないが」

 口先だけで笑った。だみ声は酒のせい。とてもドクターとは思えない。

「何だ? お前にしてはめずらしいな」

「フン! マアいい。ところで、スタディーがやめてみんなバテてるぜ。お前ンとこはハードに働いたことのないメンバーが集まってるからな、すぐバテる」

いかにもドクターらしいことを言った。「もっとも、お前だけはもっとハードになるべきだがな。一度潜在能力の測定にこい」 いつものように、挑発する感じ。

・・・そういえば、きのうアイにも同じようなことを言われた。

オレは「いいんだよ。潜在能力なんて。低けりゃ落ち込むだけだし、異常に高けりゃ面倒だろ。もっとも俺の数字がそれほど高いわけはないが」あいかわらずの返事を返した。

「そりぁスタディーの受け売りだろ。やつはもういないンだぜ。アンとよく話すんだが、やつにとって、お前が重荷だった、なんて考えたことはないのかよ?」

「サークルを抜けたからといってスタディーは大事の仲間だよ。悪くは言ってほしくないね! あいつはいいやつだよ」

少し声が大きくなった。0”にしては珍しく、「すまん」と、頭を下げた。これはこれで気持ちが悪い。オレは届いたコーヒーを胃に流し込んだ。みように苦い。

「・・・それで、何か用事があったんだろ?」

「スタディーの新しいサークルに、ゲストとして参加してくれ、って要請があった、なんて話をするとまた、お前の機嫌が悪くなるか?」

「お前のaaaの頭脳のスターテスがほしかったかな?スタディーからか」

「フン! カリスマ値なんてそれほどのもんじゃねえよ。それにテラからだ。彼女としてはお前とのパイプを残したかったんだろう。・・・あるいはゼロの会本部がお前とスタディーの能力関係に気がついてお前に興味を持ったのかもしれん。またお前は怒るかもしれんが、スタディー個人にそれほどの能力があるわけじゃない。テラはスタディーに献身的だからな。ゼロの会本体がスタディーに内緒で工作をしたのかもしれん」

 0“はゆっくりと言った。スタディーの能力、本心を言えば、それは昔からわかっていた。だからオレはやつを前面に立ててきた。生まれてからの五十年は、それが普通、になるには十分な時間だった。

――できるなら、テラがオレとのパイプを残したかった、の理由であってほしい。

返事をさがすオレに、「テラはかわいい女だよ。泣かないようにしてやるのが男ってもんだぜ。マァ、その話は様子見ということでいいが。ところでお前、きのうブライダルへ行っただろ」と、こちらの思いは、あっさり打ち切られた。そして0は、突然早口になった。

グラスが口に運ばれ、ニヤついた顔になっている。カリスマ値aaaの頭脳の回転にはなれているが、それにしても、である。

それに、この顔をする時は、何かを企んでいる時・・・。

「何で知っているんだよ」

「で、どうだった?」

 こうなると一方的。こちらの質問に答えるそぶりさえ見せない。だいたいブライダルへ行ったことをトピックスにしてもしかたがないのだが。

それでも、「いい女に会ったよ。文句なくいい女だった」と、素直に答えた。実は話したい。

「そうか。いい女だったか。そりゃ、結構」

 らしくもなく、みょうにおどけて笑った。しかしそれ以上突っ込もうとはしなかった。ありがたいような寂しいような複雑な気分。すぐに見慣れた0”の顔にもどった。「それはそうと、お前もそろそろ気をつけて行動したほうがいいぞ。最低オンラインにガードをかけるくらいはな。きのうはパスポートの位置でブライダルへ行ったことがわかったんだがな」

「・・・そうだな」

 一転して説教かよ。聞き飽きている説教だ。「アイボー! だってよ」。オレはアイボーに向かって大声をあげた。

アイボーが、「プログラムします」と、あきれた声で答えた。そういえば、アイが、「ホームコンピュータにも気をつけるぐらいでないと」と、言ってたなと、妙なこと思いだした。

「・・・お前ってやつは」

 これには、ドクター0”もあきれた顔をしたが無視して、「スタディーの情報は流してくれ」とだけ言ってテレックスを切った。0"との付き合いはこれぐらいがちょうどいい。

よくわからないテレックスだったが、カリスマ値aaaの精神分析などしてみても仕方がない。オレはゆっくりとベットをはなれた。

――パスポートでオレの位置を? それは偶然なのか・・・。

現代社会でダイアリィーをつけていない者はいない。「過去と未来から独立して存在する個人のシステム」の中ではダイアリィーという記録を残さなければ、生きている間でさえ自身の存在がアヤフヤになる場合がある。 

300年前にG・R・Pの発令されたときの想定人口が十億人。それは、人の寿命が大幅も伸びたせいで200年ほどかかったがすでに達成している。100年ほど前から限定れた人口なのだから、選挙も制度としてはシンプルになっている。しかし、

「狂気を内臓する人という生き物がたどり着いた理想的なシステム」この中に、生身の感情をもてないのはオレだけだろうか? アンケートによれば、この星にすむすべての者が「生活に不満はない」

「もう一杯コーヒーをくれ!」

言ってから、「デスクの方に運んでくれ」と、オフィスに向かった。アイボーが、「あいよ!」と言って後をついてくる。この妙な言い回しはオレとスタディーのやり取りからインプットされたもの。この言い方が出るときは彼の機嫌がいい時。「どうした?」と聞くと、「ナミが元にもどってくれてうれしい」と、テレながら言った。もちろんテレているわけではない。コンピューターに感情などない。

 今時のホーム、コンピュータはほとんど人型になっている。アンドロイドってタイプだ。しかし我が家のアイボーは機械の姿をしている。ロボットタイプ。足もない。そのアイボーが、

「ナミが、スタディーがいなくなってからずっと精神的に不安定だったから、心配してたんだ」

 泣かせるようなことを言った。

「そうかい、それは心配をかけたな」

 どうやら、最近のオレは考えている以上に参っていたようだ。「・・・それで」、二本足で歩き、アイボーよりは人型に近いが、それでもロボットタイプのメイドの運んできたコーヒーを飲みながら、改めてアイボーを見た。

またしても苦味が胃に流れ込んでいく。「見つかったか?」、もちろんアイのことだ。

「それが、彼女は地球には存在しません。オリジナルとしてはもちろん、整形を仮定して探してみたのですが該当者はいません。彼女はナミを知っている感じですがファイルに彼女はいません」

「・・・そうか」

 自分でもおどろくほど冷静に答えた。もしかしたら、という予感があった。「現代で密航者か未登録者が生きていくことなど可能か?」、気圧分布さえ管理されているこの地球に密航飛行物体が入りこむことなどできるのか? あるいは偽装したパスポートを使っての密航など可能なのか? それ以上に、この地球の中で未登録の人が生活できるものなのか? 

――しかしアイに、そんな感じ、はなかった。

「サポートする者がいれば、・・・可能なのか?」、そこまでは考えた。しかし、「やめた! 今の俺の知識を総動員しても答えはでん」と、結論をだした。アイの言っていた、「ナミがまだナミだから」は、そんな意味なのだろう。

「・・・でもな、俺はそれほど落ちこんじゃいないよ。たぶんアイには、また会える。そんな予感がしてるんだ。そのためにホームを確保しとくのさ。いつでも一緒に住めるように。準備だけはしとかないとな」

 われながら甘い考えだ。「そうですよね。準備は大切です。」

 アイボーは、すぐに答えた。さすがにオレの思考回路にリンクさせていやつだ。しかし、それほど単純な奴でもない。こんな時は、何かを企んでいる。

「・・・なにか言いたそうだな?」

「とりあえず、ためこんだキャリアを、ですかね」

 やはり、という感じ。ストレスから研究が思うように進んでいないのにきのうは何もしなかったのにだ。まったく、切り出すタイミングは絶妙。「サークルの月例会まで1週間しかないんですけどね。そこでプレゼンの日程が決まるんでしょ。一月後くらいをめどに」トゲのある言い方をした。

ISOSと協賛企業へのプレゼンは、上手くいけばサークルの評価を上げる舞台。二十年前にサークルを立ち上げた時からの悲願、だった。アイボーに言われるまでもなく十分にわかっている。

ただ、最後は「それに、これからのナミは、今までみたいにキャリア中心の生活ではなくなるような、・・・」と、めずらしくアイボーが、はっきりとしなかった。どうやら、きのうのデータの分析が終わった結果、のようだ。オレも、これからはキャリア中心の生活とはいかないかも、と、思える。

 こんな時、オレの勘はよく当たる。

「そうだな。・・・だが、今はスタディーに関わるダイアリィーを見せてくれ。・・・先に宗教のほうを見ておくか。でも、その前にコーヒーだな」

 優柔不断な思いを隠すようにモニターに向き直った。アイボーが後ろから、「あいよ!」と、みょうに張りのある音声を響かせてきた。少々、やりにくい。

「たのむ」、とまどいながら言って、クッションを低めにセットした。アイボーも、現在のオレでは、スタディーやテラ、そこからつながるゼロの会から入っていくしか道がないことをわかっている。

正確には知識がない。行動しなければ見えてこない現実・・・。

 現実問題として、オレは現代において宗教の必要性を理解しているとは言い切れない。普通の人と同じように。基本的には死んだ時のセレモニーと事務処理だけの単純なキャリアだと考えていた。

 だが、最近の宗教系のサークルは、論争をしかけたりして存在をアピールしようとしている。それが、「みょうにプライドが高い」と、言われる背景になっている。

 どちらにしても、あらためて見直してみて楽しい記録は少ない。記録と記憶は違う。人は忘れることで生きていける。ところが記録である.ダイアリィーはそれを許さない。過去と現在が混同してのしかかってくる。始末の悪いことに楽しさは増幅しないが、悲しみ、ってやつは無限に増幅する。自己嫌悪。現代の死亡原因の五十%以上が自殺。ベットで横になって「死にたい」と言えばいいだけのことだ。苦痛もないと聞いている。DNA操作と細胞活性化医療の確立した現代では人の寿命の限界は明らかになっていないのに人の平均寿命が150歳程度に収まっているのはそのためだ。あとは突発的な事故。オレに言わせればバトルエリアで死ぬ者も自殺と同じだ。こちらが三十%近い。死亡原因のベスト・スリー。

 おそらく誰でもダイヤリィーは書く。しかし見直すことはほとんどない人が大半。

「それじゃ、見てみるか」

三杯目のコーヒーに口をつけながらアイボーに催促した。

 

=3= 時代の分水嶺  ~宗教のあがき~

 

モニターに二日前のオレの姿が浮かんだ。ブライダルへ行く原因を作ったトラブル。今になって考えてみればささいなことなのだが、時代の流れの中で、起きるべくして起きた事件、ともいえる。中には、こんなことで自殺する者もいる、と聞いたことがある。それも決して少ない人数ではない、と。

 

 その時はまだキャリアの最中だった。オレのルームは顔見知りの者ならフリーで招き入れる。たまにアイボーと相談することもあるようだがオレが関知することはない。

 気がつかなかったがチャイムが鳴ったらしい。アポははいっていない。男はいきなり文句を言った。

「いまどきチャイムはないよ。センスをうたがわれるよ」

 不機嫌な声の主はニュー。、オレたちの”重力メカニズムの解明”に対して露骨に格下の態度をとる。義務つけられたサークルの中のひとつとして、ゲスト契約でリンクしているだけの関係、の男。

「いいんだよ。遊び、なんだから」

 振り向きもせずに答えながらキーボードをデスクの奥に押しこんだ。前に、「太古のスタイル」と言われたことがある。この男は、いつもアイボーを無視してオフィスでも居間でも押し入ってくる。ロボットタイプを好きではないようだ。

「隠さなくてもいいだろ。あいかわらず、君も頑固だな」

「このスタイルが好きでね」

顔を見ずに答えた。オレにしてみればリズムの問題と手と指を使う習性をなくしたくないだけだし、アイボーは大切な相棒だ。他人に文句を言われる筋合いはない。

「合理的じゃないだろ。・・・ま、いいや。ところで、もうオフタイムだろ」

 かってに決めつけた。もちろんタイムオーバーなのは知っている。まだ昼飯も食ってない。ストレスがキャリアさえ思うように進めてくれない。それでさらにストレスになる。悪循環の中にいる。

「・・・そうだな」

面倒な議論はしたくない。今度も、ニユーは先に居間へ向かっていった。

正面の壁をクリァーにすると太陽の光と街路樹の緑が飛びこんできた。ニユーは正面にエアークッションをセットした。あいかわらず上半身を前かがみにしたスタイル。顔を突き出しているから首のタトーが不自然に目立つ。「自殺の原因のトップは日常的なストレス」。この男を見ていると、その統計を思い出してしまう。

今までは、スタディーがいいクッションになっていてくれたんだな、とつくづく思う。

エアー・クッションの上で横になったオレの前にニューの苦々しい顔があった。用件の想像はついているが、最初に憎まれ口をきいてしまったから本題を切り出しせずにいる。しかしこちらからフォローしてやる義理もない。間が持たなくなったのかメードに、「レモンジュースをくれ」と、オーダーし、「レモンはビタミンが多くて・・・」と講釈をはじめた。オレは、「フン、フン」と生返事をくりかえしながら、頭の半分はストップされたキャリアにむいていた。腹が減ったストレスもある。

 結果的には、このタイムロスが状況を悪くした。ニューにも、きり出せないストレス、がたまっている。そんな状況の中で次のチャイムが鳴った。ゴット。こちらもアポは受けてはいない。この男のほうはチャイムをけなすようなへまはしない。

まずい! 普段のオレはアポなしでの来客も気にはしないが、間が悪いとき、もあるようだ。だいたい、二人とも相手によってネームを使い分けているような男たちだ。二ユーとゴット。こんな大それたネームが登録ネームや公式ファーストネームであるはずがない。

その上、宗教系と生物系のタレント・・・。現代のトラブルメーカー。

 ゴットの用件も想像はつく。正確に言えば、そろそろ来る頃、と気分が重かった。オレたちのサークル全員がゲスト契約としてリンクしている宗教団体オールドタイムのタレント。スタディーとテラの脱退届が届いて文句でも言いに来たのだろう。

そして、たぶん選挙の事前運動。もちろん投票先は二ユーと反対。今世間を騒がしている注目の選挙の敵対同士がオレのルームでバッテングしたのだから最悪。

スタディーがいるころは、オレと会うことなどほとんどなかったふたり。

「スタディーとテラの脱退届が届いたよ。それで忠告にきたんです」

 ストレートに文句を言わないところがニューよりも大人だが、逆に下心が感じられる。「ふたりでゼロの会系の新規サークル、ル・デァーUを開きました。ほかのメンバーを勧誘するかも知れません。なんといってもスタディーは君たちの中心人物だったのだから。くれぐれも誘いに乗らないように気をつけてくださいよ」

 まっすぐにオレの目を見て言った。顔半分のタトーと独特の言い方が宗教の、いやらしさ、を演出して不快になる。「大丈夫ですね。それにしても、U、なんて何を考えているのやら」

「アア、スタディーから一度も連絡はないよ。その新規のサークルの件も初耳さ」

 突っぱねるように答えた。ゼロの会系サークルを計画していることは知っているが、実際にスタディーからの連絡はない。「テラは自分の意思でついていったんだよ。ほかのメンバーは怒ってるよ」

「そうですか。それはひとつ安心していいですかね? やはりゲストは減らしたくないですから」

 珍しくいっきに言った。しかし、かならずしも信用している顔ではない。「それで、忠告、ですがゼロの会には気をつけたほうがいい。あそこは宗教団体じゃないですから」

「宗教団体として登録されてるぜ」

「形式上はね・・・」

 ゴットたちの言い分としては、宗教団体全体の会合に参加してない、ということか? それとも、十五年前にオレやスタディーが感じたとおりの”セックス愛好会、なのか? それに、急激に勢力を伸ばしすぎたことへのジェラシーもある。気になるのはテラだ。彼女は、女、としてスタディーについていった。

少し間が空き、ニューが横から口を出した。「ナミ」 いかにも押さえた口調、が、いることを忘れていたオレを責めている、ように聞こえる。「宗教関係の方のようだね」

「つい夢中になり先客には失礼しました。ゴットと申します・・・」

「ニューです。遺伝子部門でのタレントをしています」

 押さえつけるように言った。お互いのサークル名さえ確認するつもりはないらしい。ニューの顔から愛想笑いが消えた。「どうやらナミは俺の話よりも、宗教の話、の方に興味があるようだ」。横目でオレをにらみつけてきた。

現代人にとってメンタルアクティビティーの安定は生活の最低必須条件。微弱なEEGをキャチするのだから当然だ。増幅器を使ったからといってもたいしたことはなく、やはり受信側のBRSの精度を上げるしかない。だから、不安定の精神のままではルームでコーヒーも飲めない。EEGの値が一定以上になると、当然ルームのシステムは機能をストップするしルーム自体のBRSもオフになる。落ち着いたところでリセットするのだが客がいる場合ではタイミングがむつかしい。

 今の状態が、それ、だ。ふたりは協力な増幅プリントをつけているから通常よりもEEGは強い。オレは、もともとカリスマ値の割には強い。その三人が興奮状態になっている。

当然のように、オレのルームのすべての機能がストップした。

オレにとって最悪なのは、ふたりが本来の目的を口に出せないストレスの矛先をオレに向けることで合意した? 「ナミのようにマイナーなキャリアの者には解らないだろが・・・」というわけだ。冗談ではない。ストレスがたまっているのはオレだって同じだ。その上オレは昼飯を食っていない。 

 帰るタイミングを探っていたふたりは結局同時に引き上げることで、同意? し、「ナミもしっかりしてくれないと困りますよ」と、捨てゼリフを言って帰っていった。

「・・・スタディーがいればこんな状態にはならないものを」

 

=4=  〜ゼロの会の記録〜

モニターは、そんなボヤキで終わった。たった二日前のこと。

今は「俺は何をやってたんだ」そんな精神状態になっている。われながら、アイの正体がつかめないのだって先の楽しみ、と思えるのだから変われば変わるものだ。もっともアイボーに言わせれば、「それくらいのほうがナミらしい」 だそうだが。

「ニューも自己嫌悪になるわけだ。おそらくゴットも・・」

きのうブライダルで会ったときのニューの顔を思い出した。もしかしたら、オレにストレスの要因がある時に来てしまった彼らのほうが犠牲者? アイとの出会いによるオレの精神状態の変化・・・。 

「マ、いいか。・・それで?」

 横目でアイボウを見た。背景は? という催促。今までは前哨戦のようなものだ。次には、おそらく滅入るスタディーがらみのダイアリィー、を見なければならない。

「三年前がG・R・Pの最終年度でしたがISOSは終結宣言をだしませんでした。それで、ISOSには次の指針を示す機能がない、という噂がたち、あらゆる団体が、次の主導権を握るための活動、をおこし、選挙の件数は十倍以上になりました。特に宗教部門の活動は過激で」

「G・R・P以前の、西暦の時代の地球は宗教を中心に回っていた、らしいからな。その構造にもどしたいのかも、って噂があったな」

「その傾向は見えます。そして、その中心になっていたのがゼロの会と言われています」

「ゼロ会か。・・・逆に宗教全体からも反発もあるみたいだがだな」

ゴットの、ゼロの会は宗教団体じゃない、はそういう意味なのだろう。「たしか、宗教を単に葬儀を扱う部門から人の精神的支柱にもどす、が選挙のときの言い分だったな。それは宗教全体に趣旨じゃなくて、ゼロの会の方針、だと」

「そうかもしれません。それで今回は、アウト・サイエンスに所属している遺伝子部門をイン・サイエンスへの所属変えを申請したのです。それを受けてアウト・サイエンスの代表である生物部門からの反発が起きたのです。生物と遺伝子は一体なのだと。もちろん遺伝子自体も反対です」

「宗教としては、遺伝子部門を近くに置きたい、か。基幹産業だからな。ゼロの会としては宗教の中での地位を確立したいと。・・・少々あせりも感じるが」

「あせりというか、無理はありますね。もともと宗教と遺伝子は敵対関係にありましたから生物部門を巻き込んだ論争になりました。宗教サイドは新しい生命を創造するのだから神。遺伝子部門としては、DNAを並び替えるだけの物理的作業。思想は正反対です。歴史的に見れば生物と遺伝子は一体なのです。遺伝子部門が盛んになったのは紀元の2千年代初頭のころからで、初期では食料問題解決のための既存生物の遺伝子組み換えがほとんどで、その頃の地球には石油資源も底をつきかけていた関係もあってバイオ燃料の開発が拍車をかけたのです。」

「そこから地球はG・R・Pに進んでいったのだな。人口が多過ぎるのが問題、ということで。けっきょく食料問題もバイオ燃料問題もあっさり解決した。だけど人の習性としていて動き出した研究をストップさせることはできなかった。都合のいいことに、その頃から人工授精が盛んになり女が子供を生まなくなった。その頃から生物部門が地球の中心産業になったわけだ。最も人が少なければ必要以上に産業を発展させる必要もないし・・・」

 いっきに言った。あいまいだが、アイからも同じような話が出ていた。少しだけ彼女の存在を身近に感じることができる。

人の誕生はISOSの管理下に収まっている。新生児の条件は、地球の全人口を10億人に抑えること。死亡者が出た場合にだけストックしてある精子と卵子をコンピューターが選別して新たな生命を誕生させる。条件はより優秀なDNAの組み合わせ。そして、より凶暴性を持たない人の選定もある、と聞いたことがある。何にしても、人はシステムの中のピースのひとつとして生きている。今の状況は、人のための地球、よりも、地球のための人。

「結局、今のままシステム中心で行くか人を中心にした制度に変えるか、という論争にまで発展し、この選挙が次の時代を決める、とまで言われるようになりました」

「フン! 宗教と生物の次の時代の主導権争い、ってわけだ」 

「今回も宗教部門をアウト・サイエンスからイン・サイエンスに所属変更を立案したのはゼロの会なんだろうな」

「そのゼロの会ですが、現在は、あの時のサラがリーダーについています。もともとゼロの会はそれぞれのエリアの独立したサークルの総称で、サラの場合は、正式名、フォレストヒルズ・ゼロの会、のリーダーという立場だったのです。それがスノーに本部を設置したときに正式にゼロの会というサークルを発足しています。ゼロの会グループの、幹部サークル、です。だから、そのサークルのリーダーがゼロの会全体のトップになります。リーダーはたびたび変わりましたが、今はサラがリーダーについています」

「あのときのサラが、か」

 パーティ―のときの不健康に白い顔が頭にうかんだ。「・・・気は重いが見てみるか。

アイボーは苦笑いを浮かべながら、「わかりました」と答えた。気は重いが、必ずしも悪い思い出、というわけでもない、と。オレは、

「フン! とにかくコーヒーをくれ」と、アイボーの、次の一言、をさえぎった。四杯目。

これから十五年前のダイアリィーを見れば今日のキャリアもオフになる可能性が高い。しかし、アイボーは、

「もう昼だよ。サンドイッチなら食べながらでも見られる」

 あっさりと言った。まったく、アイボーの精神構造は理解できない。もっともコンピュータに意思などない。「今日はいいトマトが入っているらしいから、野菜サンドがお勧めだよ」 みょうに上機嫌に響いてきた。

「お前、どうしたの? いつもなら、キャリア、キャリア、って大騒ぎするのに」

「今のナミにはキャリアより大切なことがあるでしょ」と、泣かせることを言った。もちろんコンピュータに感情もない。「でも、そのうちにガン、ガンいくから」ときた。まったく、やりにくい。少なくともオレ自身には、並み以上という自覚、はない。なのに、オレに同調してセットしてあるはずのアイボーの能力はどうしたことだ。 

すぐにコーヒーと野菜サンドがオレの前に並べられた。その横にはオレのきらいなサプリメントと牛乳までついいる。

 

=5= 〜サラとフリー〜

 

AJエリアの中心にあるAJ・AがG・R・Pの最終モデルケースとしてシティー区域の認定を受けたのが二十年前。「ISOSが地球G・R・Pの終結宣言の準備をはじめた」と噂されだしたころ。公募によるペットネームはフォレストヒルズ。海底都市にしか住んだことのないオレは、この森の中にあるシティーでアンが開設したサークルに、「参加しないか?」とさそわれて参加することに決めた。

 タレントとしてリンクしたのはオレがいちばん最初。だからというわけでもないだろうが、「サークルのネームミングはアンとナミの頭文字をとってA、N・研究所にしたいと思います。ナミにはサブ・リーダーとしての自覚を持ってもらいたいですから」と、アンが強引にきめつけた。

オレは、リンクを決めたときに外交担当としてスタディーを誘った。「もっとメジャーなキャリアにしようぜ」と、最初は乗り気ではなかったが強引に押し切った。オレがスタディーに無理を言ったのは後にも先にもこのときだけ。この時点でオレとスタディーは、「ふたりでワンセット」という関係が出来上がっていた。

“G・R・Pでの人口減によって新規のエネルギー開発の必要がなくなったが、動力源を酸素と水素だけ頼っている今の飛行技術も変えることができる。素粒子物理学は次世代動力の切り札になりうる”

「実はナミの、このレポート読んで正式にサークルを新設することにしたんですよ」

 その当時、アンも「まったくゼロからのスタート」で、オレも気まぐれでレポートを書いただけだ。メインになる二人に基礎知識がないから研究には時間がかかった。もっともISOSでさえ、「それほど期待しているわけではないから」と、いうことで気楽にやれた。マイナーなキャリアも悪いことばかりではない。当然マネージメント的には苦しい。しかしなんとかなるものだ。

スタディーは「サークルの顔」と言われるほど精力的に動いた。発足したばかりのA・N研究所にいくつかスポンサーを探してきてはリンク契約することでタレトやゲストを増やし、「何とか機能するサークル」、に作り上げたのはスタディーだ。オレなどは、最初、「どこからこんなスポンサーを見つけて来るんだ?」、とか「まだクレジットを計算できるサークルじゃないのに・・・」と、言っていたが、いつの間にかスタディーにまかせっきりになり、「研究だけをしていればいい」という居心地のいい環境ができあがった。「キャリアではなく研究というめんどうのない環境」

この頃になると、リンクするキャリア・サークル選びだけでなく、移住したことで発生した個人に義務づけられている警備や宗教・カルチャーなど七部門のサークル選びなどの、ほとんど雑務はスタディーまかせになっていた。もっとも、医療部門だけはアンの、「古くからのつきあい」、とかで最初からドクター0“とのリンクが決まっていた。

そのドクター0”やライフ・ケア部門のA・シーズ、ISOS部門のカラー、ドなどは、「大した用事でもないのに俺を引っ張り出す」。もっともこの三人は会っていてもストレスにならない。どちらかといえば、「ナミは呼び出さないとルームをでないから・・・」と心配していてくれるから、らしい。

オレたちがゼロの会を知ったのはそのころだ。

「ナミ、面白そうなサークルからリンクの要請があった。宗教部門なんだが、気晴らしに行ってみないか?」相変わらず、よく通る声で言った。正面からオレを見る。

「なんだ、宗教部門はまだは決まっていなかったのか。でも、宗教の説明会なんかおもしろいのか?」

こっちも、相変わらず、の返事を返すオレにスタディーは、「マァ、見ろよ」と、言いながらのパンフレット・モバイルをオレに向けてきた。モニターいっぱいに男と女の顔写真がならんでいる。

パーティーを開催します。お会いすることから始めませんか

プレゼンではなくパーテー。そして単純だが現代人の潜在意識をくすぐる、会う、のキャチ・コピーはスタディーを刺激するには十分だった。やつが自分の外交能力に自信を持ちはじめたころであり、結局オレたちはパーテーに参加することになった。

 オレたちも若かった。そして、この時点ではまちがいなく、「まったくの偶然」、あるいは、「ただの好奇心から」、でしかない。

 

パーテーは、会場が満席になるほどの盛況の中ではじまった。

「ゼロの会はまだ生まれたばかりのサークルで・・・」

堅苦しいスピーチ。女のネームはサラ。ゼロの会のリーダー。この時点ではフォレストヒルズだけで活動するマイナーなサークル。

サラは、異常なほどやせた体と白い肌の女だった。水彩絵の具の白を身体中に塗りたくったイメージ。

「人は、なにを心のよりどころにして生きているのでしょうか? もちろんISOSの制度はすばらしいシステムですが、人として生かされているものにとって、心のよりどころ、は別のものです」

ISOSへの批判だけは避けて、が、いかにも新規のサークルを感じさせる。キッチコピーとは逆に、志に燃えている、印象。それでも、オレたち客が、様子が違うナ、と思いはじめたころには、「人という生き物にとっても、肌のふれあいは、大切なことです」と、しめくくって、スピーチも終わった。

ビジネスライクの宗教系のサークルとは、別物、のイメージ。悪く言えば押し付け感が強い

しかし、この女の場合は新鮮に感じられた。強い思い,意志が感じられる。そのせいか、スタデーは、「知的な雰囲気を持つ美人で、きらいなタイプじゃない」と、サラに興味を持ったようだ。権力志向の高いスタデーらしい。

「俺とは好みが違うから長い間コンビをくんでいられる」

 スピーチが終わると同時に会場はボックスごとに仕切られた。対面法式。それぞれの席からの小さな歓声が会場全体にひろがる。

オレたちの席にはフリーが酒をもってあらわれた。建前としては案内係。

「気に入ってもらったらサークルへのリンクを進めるから案内係なんだけど、今日はパーテーだから気軽に楽しんでね。まだゼロの会のタレントになったばかりで気のつかないことばかりだけど」

笑うとえくぼができる愛きょうのある女だった。どこかやわらかい空気を感じさせる女。

「ふたりもニューフェイス、サンだよね。初参加同士楽しくやろうネ」

オレには、サン、をつけた呼び方が新鮮だったし、場馴れをしていない接客態度、にも好感が持てた。逆にスタデーは興味を示さない。オレたちの思惑からすれば、男ふたりに女ひとり、という組合せにも無理がある。メンバーの絶対数が足りない、ということだろう。

しかし、フリーは酒を勧めながら、「必ずパートナーが見つかるからね。ゲスト同士の組み合わせを望まれる人もいるよ」と、あやしく笑うだけだ。どうやらオレたちがなれていないだけで対応策は考えてあるらしい。しばらくして、スタデーはフラフラした足どりでオープンスペースに消えていった。

次の日の朝、オレは見たこともないルームで目をさました。どうやら、ただの酒ではなかったようだ。スタデーが消えたころからの記憶がはっきりとしない。それでもフリーの肌の感触はしっかりと残っている。案内係としては未熟でもセックスは未熟ではなかった。

「ナミ、おはよう。コーヒー飲む?」

「ありがとう。いただくよ。・・・ところでスタデーは?」

「心配しなくても、彼は楽しい思いをしたはずよ。・・・でもナミも十分に楽しんだでしょ」

フリーはふたつのコーヒーカップを自分でもってきた。ここ数年で人の手からコーヒーを受け取った記憶はない。みょうに照れくさいものだ。

「・・・これもマニァルに?」

 まったくバカな質問をしたものだ。案の定、「私は自分がしてもらうとうれしいことは、他人にもしてあげるの。誰にでもしてあげるわけじゃないけどね」

ゆっくりとした口調が、居心地よくひびいた。お世辞ばかりではなく好感をもたれているようだ。フリーはオレの横に座ってコーヒーを飲みはじめた。横顔のえくぼがみょうに照れくさくて、オレはあわててカップを口に運んだ。

「スタデーの相手はサラよ。・・・彼女に気にいられたのかな? 本当のことを言うとネ、サラだけは相手を彼女が選ぶの」

 あっけらかんと言った。おそらく口外を禁止されている事項なのだろうが気にする様子もない。

「サラって、最初にスピーチをした人? 彼女がトップって感じだったけど。俺には、ゼロの会はタレント同士でライバル意識がある、ように感じたんだけどトップに対しても、そんな感じを持ってるの?」

 実はきのうから、そんな感じ、はもっていた。珍しいことではない。サークル内で競争意識を持たせる手法はよくある。

「ナミってすごいね。最初からそんなことを言った人は初めてよ。・・・確かに、サークルの中で競争ははげしいわ。でもサラは別格。彼女にライバル心なんて持てないわ。サラみたいになるのが私の目標だもの」

 フリーは笑った。しかし、この女がライバルとの競争に勝つことはないだろう、と思えた。

 少なくとも、この時点でもフリーへの印象は、やわらかい女、以上のものはなかった。逆にいえば、つかみどころのない女。

「楽しかったよ。初めて参加したパーティーでナミに会えてよかったヨ。・・・、でもナミって不思議な人だね」

 フリーは笑いながら首だけを傾けた。それでも、オレの、どこが不思議なのかは言わなかった。

 

しかし、けっきょくゼロの会とはリンクしなかった。AN・研究所のタレント全員のリンク先の問題だから「普通のサークルがいい」。最初のころはリンクを主張していたスタデーも、しばらくして、「別の宗教を選ぼう」と、言いだした。

 真相は、サラからスタディーが望むポジションを得られなかったかららしい、が真相はわからない。横着なオレは追及もしなかった。

 

ダイアリィーが終わり壁をクリァーに変えると、かなり西に傾いた太陽の光が部屋いっぱいに広がった。思ったほど後味の悪いものではなかつた。アイボーが編集してくれたのだろう。

「フリーのことは、かなり長い間気にしてたよ。あれから女の好みは、フリーのタイプ、が多くなったくらいにね」

 アイボーの第一声に、オレは、「フン!」と鼻先であしらった。次のセリフは想像できる。アイはタイプがちがう、・・・、と。

話題を軌道修正しなければならない。

「・・・この後、ゼロの会の勢力拡大がはじまるわけだな。セックス愛好会の企画が当たったのか? しかしセックスをしたいだけならブライダルにいけばいいんだから、珍しいだけ、だと思うんだがな」

「そうなんだけど、現実に地球全域にまで勢力をのばしているから。系列サークルは数えきれないほどに。・・・ほかにも要素があるかもしれませんが」

「そう思うほうが普通だがな。しかしデータ不足を詮索してもしょうがない。それで?」

「ハイ。ゼロの会はしばらくして本部をN地区・Aゾーン・スノーに移しています。サラはそこでゼロの会本体のサークルに登録して、今はリーダーなのは前に報告したとおりです。フォレストヒルズ・ゼロの会にはサラがリーダーを兼任するル・デァーが新設されています。当時、サラは、ル・デァーのタレントを探していたけどスタディーは選ばなかった、と思われます。サブリーダーにはカリスマ値aaのガイアという男がなり実質的にル・デァーを仕切っています。タレントも優秀な者ばかり集めています」

abのスタディーより少し上か。少しでも優秀な人材を集めたかったわけだ。ゼロの会本体の設立、のために。そしてリーダーになった。もしかしたら、次の目標にためにスタディーを?」

「可能性はあります。彼をリーダーにしてル・デァー・Uを設立としたら、状況からしてサラがスタディーを引き抜いた、と。そのサラですが、今はフォレストヒルズにいます」

 どうやら報告をしながらサラのパスポートを探っていたらしい。起用なものだ。

「自らスタディーのためだけのサークルを、か? ・・・トラブルを承知で?」

もしかしたら、最初から使い捨てのサークル、では? 少し間があき、重苦しい空気の中でアイボーがゆっくりと言った。

「関係ないかもしれませんが、N地区Aゾーン・スノーは選挙でバトルゾーンに認定されましたが、住民からの反対で取り下げられています」、確かに関係あるとは思えないが・・・。

「フーン、・・・・取り下げ? そんなことがあるのか?」

「大抵の者は自分に関係ない次項ではコンピーター任せで投票しているようです。ナミだってそうでショ。こんな時、コンピーターはイエスを選択する場合がほとんどです」

「・・・選挙が多すぎる弊害だな」

 オレはあわてて窓の外に視線を移した。出来のいいアイボー、と、油断していると、ひと言、が飛んでくる。「ゼロの会が行く前か? 誰が申請したんだ?」

「申請者はベンチャー系のサークルからですね。時期はゼロの会が行く直前。申請した時点では住民はいなかったけど発令の時点では人がいた。ゼロの会のメンバーですね。珍しいケースです」

「意図的なものか?」

「不明です。これだけがデータバンクに記載されていました」

 オレは、「フーン」と言いながらアイボーを見た。普通のコンピーターは、こんな些細なデータなどを探し出したりはしないらしい。オレはとりあえず、「アリガトな」と言っておいた。そして、

「ところで、今からキャリアをしろ、とは言わないよな?」と、太陽を見た。オレも、かなりアイボーとの駆け引き、を楽しんでいる。予想どうりアイボーは、「ハイ」と答えてきた。

「それじゃ俺、ジムへ行ってくるわ」

「ジムへ?」

 アイボーがまた不審な声をだした。オレがジムに行くこと自体が珍しい。少なくとも、こんな時間にジムヘ行ったことなど一度もない。

「それじゃ! な」 それだけ言ってオレは地下にあるスポーツジムへ向かった。おそらくアイボ−の回路は、ナミの新しいデータ、の書き換えにフル回転していることだろう。当然だ。オレ自身が自分の心境の変化に戸惑っている。

 

 キャリアを三日日間サボったツケはもっと大きいか、と思っていたが順調にカバー出来た。実は自分でもおどろいている。

「今までのナミは集中力がなかったから」

アイボーが、また説教? をした。キャリアに集中している。ジムには時間をかける。まるでエリートのような生活。今ならオレのカリスマ値baも少しは上がっている? トリプルとは言わないがダブルのaaくらいにはなっているような気がする。だいたいカリスマ値なんていうものは脳波力、記憶力、それに体力などを総合評価してつけられた値だ。測定する時の体調によって全然違う数字が出る。特にオレの場合、スタディーより低い数字、という制御が無意識にうちに働いていたようだ。そのほうがふたりの仲がスムーズだから。

 あいかわらずアイからの連絡はない。もちろん常に意識の中にはある。しかし、あせり、もない。想像していたことでもあり、「いつかは会える」という予感も信じている。当面は、「スタディーが動き出すのをまって、すぐに動ける準備をして」、を優先している。おそらく、「二度とやつのほうから連絡が入ることない」、ことも、頭ではわかっているのに、だ。

そして、テラの存在。「彼女が、セックス愛好会、の中で生きられるとは思えない」も、頭のすみにはある。彼女は、「ナミとスタディーがブライダルへ行った」と聞いただけで三日間も食事を取らなかった女だ。やつにも、彼女に答えようとする感情があった、ように覚えている。

 

=6=  〜行動しなければ見えてこない真実、その中で〜

 

ここ数日のキャリアの遅れは二日でカバーできた。アイボーに言わせると、「やればできるじゃないですか」ということになる。

「オールドタイムにアポをとっておいてくれるか。昼飯を食ったらでかけるから」

 昼飯のオーダーと一緒にアイボーに伝えた。べつに思いつきではない。アイボーに言われたから、ばかりではなくオレ自身も,行ってみるか、という気分になっている。

 ・・・行動しなければ見えてこない真実。

現実には、何かをしていないと落ち着かない、が本心なのだが。アイボーは、

「ゴットですね。連絡しておきます」と、ニヤニヤしながら答えてきた。そして、「ナミもたまには外に出て他人と接触するほうがいいですしね。そろそろスタディーがいない現実を直視しないと」と、きた。  

まったく我が家のアイボー殿は・・・、にはなるが、とりあえず意思の疎通はできているようだ。ついでだから言うとアンドロイドタイプではないアイボーにニヤニヤする機能などはついていない。

 

 オールドタイムのオフィスでゴットに会うことはできなかった。「オフタイムですから」。対応に出てきたリーダーは「彼のネームはゴットではありません。シーラです。ゴットなんてネームの使用はオールドタイムの品位を落とすもので、本人には厳重に警告を与えておきますから、これからはシーラとして活用してやってください」と、頭を下げてきた。どうやら会いたくない訳は、オフタイムばかりではようだ。もちろん先日の不手際もある。

しかしオレは彼を責めにきたわけではないからゴットだろうがシーラだろうがかまわない。

「シーラですか、彼はよくやってくれてますよ。苦情を言いにきたわけじゃない」と、 笑っておいた。「今日は、ゼロの会について意見を聞きたいと思って・・・」

事情を説明すると、リーダーは安心した様子で、「あまり他のサークルの批判をするのは本意ではありませんが」と、前置きをしてゆっくりと話しだした。あきらかにゼロの会に好感をもってはいない。「確かに、イン・サイエンスへの所属変更の素案をまとめたのはゼロの会です。それ以後も新しい提案が出てきました。今回の遺伝子部門の所属変更もゼロの会からです。もちろんゼロの会の提案はすべて正論でし、高い理想を持っているのは確かです。しかし、宗教関係のサークル全体としては、とまどっている、というのが本音です。セックスをえさにしたやり方への反論もあります」らしくもなく一気に言って少し間を置いた。「ISOSエージェントとつながっている、うわさも消えません」

「ISOSと? ・・・だから強気の提案ができる、ですか?」

サークルとしてリンクしている以上の関係、と言おうと思ったがやめにした。“不の集合体“として提訴されないとも限らない。

「ハイ。あくまで、うわさですが。それに、スノー地区に本部を移したのだって、隔離してマインドコントロールをするため、と、これもうわさです」リーダーは”うわさ“を強調した。

オレは本題に戻した。「確かにゼロの会の統率はとれてはいますからね。現代では考えられないほど」

 スノー地区は雪と氷にかこまれたエリア。ほかに住民はいない。たしかに本部をおくメリットは少ない。間違いなく,不の集合体の形態。

リーダーは、「宗教に関る人としてではなく一般の現代人として言えば、ゼロの会には関らないことをおすすめします」と、と言い、一息いれて。「友人のスタディーのことは聞いています。一日も早く引きもどすことをお勧めしますよ」と、締めくくった。

雪に囲まれたスノ―地区自体が、現実と理想の狭間、といったところか。そして、出る出るくいはうたれる。ほぼ想像通りの答え答だった。

「本心を言いますと、・・・これはオールドタイムのタレント、としての意見ではなく、すなわち宗教系のサークルの意見ではない、ことを理解して聞いていただけますか?」

 リーダーは用心深く念をおしてきた。「もちろんISOSを批判するつもりはありませんから・・・」 ゆっくりと息をすいこんだ。「これまでのゼロの会の提案には、それぞれの人の思想を選別するため、のような気がしているのです」

「思想の選別?」

「もちろん宗教の勢力拡大は正論です。しかし、この次のおこなわれる選挙にしても、俺自身としては遺伝子部門がイン・サイエンスのままでもかまわない、と思っています。しかし強引に提出させられた。これまでの提案も、ずっとそうでした。人を選別する材料として使われているとしか思えないのです」

「しかし投票といっても、ひとつひとつの法案を深く考えている人は少ない、と聞きましたが? ホーム・コンピュータ―まかせがほとんど、と」

「ハイ。だから地球に住む人すべてを対象にしているもではなく、特定の人、を対象にして思想を探っている、ような・・・」

「特定の者? 思想を探る? ・・・監視してると」

ISOSのシステムが個人の幸せを考えていると、思いますか? ・・・なんにしても、俺にも、これ以上はわかりません。ただ、選挙には考えて、イエス、ノー、を出す必要があいます、と忠告したかっただけで。この忠告がシーラが迷惑をかけたお詫びと考えていただければうれしいんですが・・・」

 リーダーは愛想笑いを浮かべた。実際のところ、よくわからない。特定の人。思想を監視。それにゼロの会が協力している? 

 とりあえず、「ご忠告ありがとう」と、答えておいた。

「なんにしても、ゼロの会の本意はわからない、が本音です」

「・・・わかるのは、その特定の人、だけかもしれませんね」

 行動しなければ見えてこない事実、少々、気にはなった。しかし、今のオレでは見当もつかない。「とにかく、ゼロの会には十分に注意しますよ」と、言ってゆっくりとたちあがった。

もしかしたらオレは、ゼロの会を敵とするための賛同、を得たかっただけかもしれない。少なくとも、テラも自分の意思でゼロの会へ行った、正確にいえばスタディーを追いかけて行った。その責任はオレにもある。行動するには、ゼロの会は敵、と認識するのがいちばんのエネルギーになる。

 

 オレの生活の変化には関係なく世間ではG・R・Pの終結宣言の話題で浮ついている。「今がチャンス」というわけで営利団体系のグループや各種のサークルの動きがこれまで以上に活発になっている、らしい。本来なら計画が発令された時点での終結年度の予定は三年前だったのだが、「ISOSが次の姿を描ききれないためにのびのびになっている」、「ISOSは受身の機能しかもっていないのだから当然」

しかし、「だからといって、いつまでの先延ばししているわけにはいかない」

 

 ライフ・ケアのA・シーズは、「ナミがデートにさそってくれるなんてめずらしいね。もっともスタディーがいないんだからしかたがないか」と、笑った。オレの好きなタイプの顔だ。「うちのサークルの集会にはいつもスタディーだけじゃない。たまにはナミをつれてきてよ、って言ってたのよ」

「それは、・・・美人のさそいを断わるなんて俺の本意じゃないんだけどね」

 スタディーに、「全面的にまかせた」と言ってある以上ライフ・ケアだけは行きたい、とは言いにくかった。「べつに嫌ってたわけじゃないさ。生来の怠け者でね」

「その怠け者が、スタディーがいなくなってこまってる、って感じかな?」

A・シーズはからかうように目を細めた。「ゼロの会に関する苦情はたくさんあるみたいだよ」

「スタディーは生まれたときから一緒で生活のすべてをまかせっきりだったから、こまるというより生活を組み立てられない、ってのが本音だね」

 まったくの本音。「横着者が、すこし抵抗してみようかな、と」

「さすがのナミもその気になったってわけだね。それとも、その気、にさせる事件でもあったのかな?」

 さすがにライフ・ケアのタレント。かなり鋭い。「どっちにしてもナミがその気になったのはいいことだよ。私個人としても、ナミが動くとどうなるか、興味があるしね。だから、なんでも協力するけど、・・・今回の場合は、スタディー本人が合うことを拒否してるんでしょ。テラも、…あなたに」

「なんだよ。その、ナミが動くとどうなるか興味がある、って」

「君は横着者を自認してるんでしょ。やればできるけどやらない男って。スタディーを使ったほうが楽だったからか、彼に気を使っていたからなのかは、ナミ本人にしかわからないことだけど」

 正面からオレを指さした。さすがは、ライフケア。言外で、問題はそこにある、と言っている。

「なるほどね。そういう考え方もあるのか。考えたこともなかったな。ずっと、スタディーがいることが当然、の生活だったから」

あらためて言われると、オレはどっちだったんだろ、と思える。

「その話は、落ち着いてからゆっくり話そうよ。いまはスタディーの件が先だね」

「そうだな。・・・俺をふくめたA・N研究所がこまってる」

 ため息まじりになった。わかってる。だからストレスの生活も仕方がない、と思っていた。「でも、なんとかスタディーと会えないかな。精神的損害とかヘッドハンティングによる損害とかで裁判に持ち込んでよびだすとか?」

「かなり強引だね。スタディー本人の意思もわからないし。・・・でも、そこまで言うなら手続きだけはしておくよ」

 A・シーズはお手上げのポーズで言った。かなり望みは薄い。しかし「ナミの気持ちはわかるからね」と、ホローしてきた。

「今は、そのスタディーの意志、ってのを確かめたいんだ」

 ・・・まったく、でしかない。行動しなければ見えてこない現実がある? しかし、実は、いったいオレはなにをやってるんだ、という気分のほうが強い。行動でなく暴走、そんな感じ。

  F   〜無知は罪悪〜

 

「アイボー! なんでもいい。なにかゼロの会を引っ張り出す材料はないか? どんな些細なことでもいい。前にオールドタイムのリーダーがマインドコントロールをしてるうわさがある、とかISOSとつながっているかもしれない、とか言ってただろ。ゴシップでもなんでもいい。なにかないか探してくれ」

 まちがいなくオレは、いやがらせの材料、をさがしているだけ。正直、本人でさえ、きのうからなにをやってるんだ、と気が重いのだが。

アイボーは、「わかりました」とだけ答えてきた。そして、「ナミらしくないやり方だけど、これくらいしか打つ手がないですもんね」と続けた。気が重いのはオレだけではない。

「入り口を見つけなければ中には入れないからな」

 荒っぽく答えた。アイと出会う前とは別の意味で気が重い。今はジレンマのようなもの。

 

朝飯の後、「ゼロの会にスキャンダルになりそうな材料は見つからないよ」アイボーが申し訳なさそうに言った。当然かもしれない。コンピュータでシステム制御された今の時代、スキャンダルなどおきるはずがない。

 オレはコーヒーを流し込みながら、「スノーのゼロの会の本部にはどれくらいの人がいる?」 朝飯おを食いながら考えていた、違法はないだろうが疑惑くらいならあるのでは、と。

「千百三十一人です」

 アイボーはすぐに答えた。どうやらきのうから調べたデータで情報はそろっているようだ。

「千三百三十一人。・・・サークルの定員七人ぴったりで構成されているとすると二百サークルだろ。それぞれ法廷最低の七つにリンクしてるとすると千四百サークルがスノーの本部にあるわけだろ。最低でも」

「・・・そうですね」、アイボーは意味不明の響きで答えてきた。

「つまりだな、それだけの数のサークルがゼロの会の本部の中に隔離されてるわけだ。サークルの基本理念は、人に集団を組ませない、ことだろ。ゼロの会は集団になってる。おそらく法にはふれないようになってるんだろうが、マスコミに流せばスキャンダルにはなる。ゼロの会を快く思っていない者は多いからマスコミは飛びつく。マインドコントロールがおこなわれている、なんてのもいい。適当にレポートを書いてマスコミ系のサークルのタレントに送りつけてくれ」

「適当に、・・・ですか」

 アイボーの声のトーンが低い。どちらかというと機械音に近くなっている。

「アア,過大解釈ってやつだ。オールド・タイムあたりも、後押し、を依頼すればよろこんで協力してくる。とにかくマスコミが取り上げるようにして。・・・二弾目は、ゼロの会によるヘッドハンティングまでした強引なタレント集めの現実、で、とどめは、ISOSをまきこんだゼロの会の野望・疑惑、かな。タイミングを見計らって順番にリークしてくれ」

 オレのほうは早口になっている。コーヒーが苦い。アイボーは、「わかりました」と答えた。そして、「その前にナミの思考分析とデータの書き換えをしなければなりません」と、続けた。オレは、

「バカヤロー!」とどなっておいた。まったく、である。すきでヒール役をする者などいない。

 

結果は,当のオレでさえおどろくほど簡単にマスコミが取り上げてくれた。もちろん何人かに協力は要請してあるから、その中のだれかの後押しがきいたのかもしれないが、じつは少々とまどっている。

テレビの中で何人かのコメンテーターが、好きかってなこと、を言っている。思った以上にゼロの会への反発が強いのか、必要以上に大騒ぎするのがマスコミの体質、なのかはわからないし興味もない。

動きはヘッドハンテッングによる強引なタレント集めの情報が流れた直後におきた。

「ゼロの会は地球征服をたくらんでいる」とまで言われてほってはおけなくなったのだろう。「ISOSも調査に乗る出すようです」

 

 =F=  〜ホワイト。シーン〜

「今回の騒動は君のレポートから始まったのはわかってる。個人の思惑がマスコミを動かすことなどほとんどないことだよ。見事としか言いようがない。おかげでゼロの会パッシングはおきたね。もっとも君の目的はパッシングではないだろうが」

 男はゆっくりと言った。頭からかぶった青いベールからわずかにのぞく白い顔にタトーは見当たらない。カミソリのような目を持っている。男は、「ホワイト・シーン。フォレストヒルズ・ゼロの会のサブリーダーを務めています。サラ様の直属と思ってもらえればわかりやすいですか」と、自己紹介した。少なくともアイボーは、危険はない、と判断して居間まで通してきたのだが。 

 しかし、「すぐにおじゃましますから飲み物はけっこうです」近づいて行ったメイドを片手で遮った。宗教系のサークルらしくもない態度が怒りを表している。

オレは、「迷惑をかけてすまない。けっして本位ではないだが、ほかに手段を思いつかなくて・・・」と頭を下げた。「俺は、スタディーの本意を知りたかっただけなのだが・・・」

「サラ様もそう言っていました。あの方は寛大な人です」と言って少し間を置いた。そして「思いがすぐに結果として出る者もいるものだ、と感心していました」、ゆっくりと続けた。「弾圧は宗教の宿命だとも。中世の魔女狩り、みたいなもので、今回の出来事でゼロの会は本当の意味での宗教に近づいているのです、と笑っておられた。・・・しかし、俺はそんな気にはなれない」

顔色ひとつ変わっていない。しかし、こちらの言い分を聞く気もない。「サラ様から、ほかの者には話さないように、と言われているから、今回の出来事がナミのしわざ、と公言はしません。しかし、これ以上の行動を起こして事実が知れわたれば、君はすべてのゼロの会のタレントやゲストから敵視されることは忘れないでほしい」才気のあふれた整った顔の中で口だけが動いている。

サラから、口止め? ゼロの会とは別にサラだけの情報源がある? もちろん顔には出さずに、「わかった。俺にもゼロの会の結束の強さは知ってるつもりだよ」と、答えた。

「君のために、そのほうがいい。少なくとも俺は君を嫌っている。そして、それはスタディーも同じ、と言っておきます」

オレは、「それは・・・」、言いかけてやめた。

ホワイト・シーンは、「フォレストヒルズ・ゼロの会はゼロの会発祥の立場と自負しています。その地でのトラブルはゼロの会すべてへの挑戦と考えます。心して行動してください。・・・俺の用事はそれだけです。これで失礼する」と、一方的に席を立った。

 早足でドアに消えようとする背中を見ながら、サラの、やせて不透明に白い肌をした顔を思い出した。あの時は迎え入れられなかったスタディーが、ゼロの会とリンクした事実だけがある。現時点ではどちらからの働きかけかはわからないが。

そして――サラは、オレにも興味を待ってる?

 オレの存在を知っていた? スタディーから聞いて? しかし、そのスタディーはオレを無視している・・・。分かることは、いやな予感がする、それだけ。

オレの勘は良く当たる。それが悪い予感ならなおさらだ。たとえば、アイとはいつか会える、と思っているから不思議なほど落ち着いていられる。根拠などない。ただの勘だ。それでも落ち着いていられる。

――しかしスタディーとテラの場合は・・・

 どうにも落ち着かない。アイボーが「状況の整理がむつかしいです」低い声を響かせた。

 

 キャリアが少しタイムオーバーした。「昼飯をたのむ」と言いながらテレビをつけると、ゼロの会パッシングの場面が飛び込んできた。

サラも、魔女狩り、とはよく言ったものだ。この件の扱いはマスコミのISOSからG・R・P終末宣言が出ない閉塞感に対する八つ当たりみたいなものだ。始末が悪いことにアイボーが、「ナミが先陣をきったんですからね・・・」と、いやみを言った。

「・・・ところで」

アイボーは食事の乗ったトレーをテーブルに置きながら、みょうに改まった顔をした。こんなとき、いいニュースが出てきたためしがない。「きょうのISOSの発表の新規サークルの中にル・デァーUがありました。正式に認可されたわけです。リーダーはスタディーでタレントの中にテラのネームがありました。さすがにゲストは少なくて・・・」

「このゼロの会パッシングの最中に? ・・・ル・デァーはまだ残ってるんだろ?」

ゼロの会を本体にしてフォレストヒルズ・ゼロの会などを増設するのとはわけが違う。

「ハイ。ガイアをリーダーにしたル・デァーはそのままの体制で残ってます」

 アイボーの答がため息まじりに聞こえた。ガイア。あのとき、スタディーよりの能力が高い、として採用された男。

――これじゃスタディーがさらし者になるだけ・・・。

 さらし者? あるいはじゃま者あつかい? もしかしたら、オレの軽率な行動のせいで? アイボーが、「まだデータ不足です。あまり深く考えないほうがいいと思います」と、なぐさめてきた。そして、「月例会まではキャリアに集中したほうがいいです」ときた。データ解析が本来の仕事であるコンピータでさえ情報不足。ますます情けなくなる。

 

 

=G=   〜月例会〜

 

クリァーな天井あたりからポトスのツルが何本もおりている。下になるほど大きくなる葉はオレの頭のあたりで顔の倍ほどの大きさになり床近くまでつづく。それが床からのグリーンの薔薇とで居心地のいいブラインドを作っている。オレは、このグリーンで統一された空間を気に行っている。だから、月例会が終わった後は、ここでコーヒーを飲むことにしている。

しかし今日は、小さなため息になった。

きのうA・シーズから呼び出された。さめた顔をして、「もしかしたら今回の騒動はナミの仕掛けじゃないの?」と切り出してきた。オレが答につまっていると、「やっぱりそうだったの。どうしてマスコミを動かしたかは知らないけど、ライフ・ケアのタレントとしては感心しないわね。たしかにゼロの会のやり方には疑問もあるけど、彼らにも人権はあるのよ。彼らを落とし入れる権利はナミにもないわ」

まったく、で、弁解の余地がない。バカなことをしたと思っているし、これほどの騒ぎになるとは思っていなかった。「他人を傷つけるなんてスマートじゃないよ。ただ敵をつくるだけ」

これでサラ、ホワイト・シーンに続いて三人目だ。他のどれだけの者が、ナミのしわざ、と知っているかはわからないが・・・。少なくともオレが落ち込む材料にはなっている。

スタディーが、この建物で騒動をおこしてから三ヶ月。そのスタディーが、すでにル、デァーUの新規の認可を受けている。オレの知らないところで事態は急変している。

行動しなければ見えてこない現実? ・・・オレの行動によって生まれたのもは不信感だけだ。それに敵。おそらくホワイト・シーン以外にも。

 この建物のホールで開かれるオレたちのA・N研究所の月例会の進行係は、ずっとスタディーが勤めていた。終わった後、残務整理で会場を出るのが遅くなるスタディーを、このホールで待って、「どこかに出かける」、が、いつものパターン。二度に一度はテラもついてきた。もちろんトリオになると行き先は変わったが、それでもオレには居心地のいい時間だった。三人という人数では全員が楽しむのは難しい場合が多い。しかしオレたちのトリオの場合は違っていた。理由はわからないがおそらくテラが、女だから、なのだろう。古いタイプの女。

そして、スタディーが最初からゼロの会に彼女を連れて行かなかったのも、テラが女だから。