本光寺
三ヶ根駅から300mほどの処に、瑞雲山本光寺があります。
本光寺は、大永3年(1523)松平忠定公によって建立され、
以来歴代の菩提所として保護され、今日に至っております。
深溝松平は、徳川氏を支えた十四松平の一つで、大永年間から、 この地に確固たる地位を築き、祈願所として本光寺を建てた。 以後松平宗家に命がけの忠誠を示す、深溝松平の興亡をかけた 歩みが始まった。 |
西御廟所
西御廟所
初代忠定、二代好景、三代伊忠(これただ)、四代家忠の墓孝子廟、本朝二十四孝の一人、六代忠房公長男、好房公(寛文9年6月23日)の墓等があります。
好房公は、戦前の小学教科書に載っており、年輩の方には覚えがあると思います。
肖影堂
五代忠利、冠衣木造安置、寛 文十二年(1672)六代忠房が建立願掛け亀
亀のエリ首(ヘコミ)に賽銭が入ると願い事が叶えられ、幸せになると言う。
東御廟所
東御廟所
肥後島原七万国の城主となってからも、死後は父祖の地に帰り、十九代におよぶ人々が眠っている。深溝松平氏代々は、松平本家(徳川)に従って戦功をあげて栄え、九州島原の大名となり、明治をむかえました。梵鐘
吉田城主(豊橋)忠利が、寛永六年(1629)厄災消除を発願され、金、銀、銅にて鋳造。国の重要美術品に指定されている。
庭の梅・椿
庭の梅
境内には、椿、紫陽花、梅、が沢山植えられておりシーズンともなれば、多くの観光客が訪れます。椿園
400種類1000本の椿が植えられている。
長崎県島原市にも、本光寺があります。
私にとっては本光寺は思い出の多い所です、子供の頃、東御廟所へ行く石段で、板に乗ってカタカタ 滑り降りたり、庭の檜の木(今はない)の梢近くまで登り、東海道線の向こう側の家の屋根がキラキラ 光っていたのが、今でも目に浮かびます。 |
両御廟所とも、昭和20年1月の三河地震で壊れお墓は修復されましたが、まわりの土塀はそのまま になっております、修復にはかなりの費用がかかる様子で、何方かの寄進を待つ状態です。 |